わたくし、コヤナギユウというケチな物書きでございます。
今日日は南。「奄美大島・加計呂麻島 女もつらいわ」と題しまして、小説家の三谷晶子姐さんをたずね、西にいきましても東にいきまして、とかく土地土地のおあにぃさんおあねぇさんにご厄介かけがちな若造でござんす。
下手の横好き横向きゃ美人、カニとフスマは横にしか動かないってな感じで、え?何言ってるかわからないって?まぁまぁそこン処は大目に見てよ。絵なんかを描いてみたんで、ちょいと斜め読みしてもらえたらこれ幸い、ときたもんだ!
(以上で寅さん口調終了)
加計呂麻島に着いたのは昼間だった。
天気はあいにくの雨。
一瞬の晴れ間から奄美大島を捕らえ、写真を撮った。
成田空港から加計呂麻島へ行くには、奄美大島を縦断する必要がある。
(くわしはここに書いた)
中間地点である奄美大島の繁華街・名瀬に着いた頃には日が暮れそうだった。
Yu Koyanagiさん(@koyanagiyu)が投稿した写真 –
バスセンターでバス待ってるんだけど、クモかと思ったらカニだった。なるほどこれが奄美か。
Yu Koyanagiさん(@koyanagiyu)が投稿した写真 –
写真はきれいだけど、雨脚は強まるばかり。
日がすっかり沈むと、安心したのか雨はいっそう強くなった。
古仁屋港へついた頃には加計呂麻島への最終フェリーは終了。
しかし、海上タクシーがあるとのこと。タクシーとはいえ乗合船だ。
わた三谷さんも、古仁屋でた飲んでいとのことで合流。
一緒に海を渡ってくれるのは心強い。
いくら夜で雨だとは言え、あたりは見慣れない暗さだったので、心細かったのだ。
無事三谷さんとも合流出来、海上タクシーの時間になった。
船に乗り込み、加計呂麻島を目指す。
20分ほどの航路だけれど、初めてだし、暗くて当たりが見えないしで、近いとのことだったけど、距離感がさっぱり分らなかった。
加計呂麻島についたら、三谷さんがご近所の小学校の先生と出会い、ご好意で送っていただいた。
雨がひどかったし、わたしは大荷物だったので本当に助かった。
近くで降ろしてもらったけれど、家に入る間にもうすっかりびしょ濡れ。
なんの感想も浮かばないくらいとにかくほっとした。
ああ、着いた着いた、と。
三谷さんの部屋にはテレビがなく、また、周囲からの環境音もない。
聞こえて来るのは雨の音のみ。
この雨、いつまで続くのかなぁ。
南国は、やっぱり雨が多い。
加計呂麻島滞在中、ずっと雨、なんて可能性もなくはない。
悲観するわけではないけれど、それでもせっかく来たんだから、なにがあっても“楽しもう”。
自分の中の“楽しもう”スイッチをオンにする。
よし、ひとまず濡れた服を脱いで、シャワーを浴びて、さっぱりしよう!
三谷さんから一番風呂を譲ってもらい、離れの浴室へ移動する。
「夜は足元にハブがいることがあるから、本当に気をつけて」
ヘッドライトは必須アイテムだ。
浴室に入ると……ハッ! い、いる!
せ、センパイが……いる!
わたしが入っても、シャワーで追い立てても微動だにしない、貫禄あるGセンパイ。
東京で見るより、大きくて遅い。さすが南国だ。そうさ、南国は虫がデカい。
さっき“楽しもう”スイッチを入れたんだし、郷に入れば郷に従えという。
わたしは意を決め、大御所センパイが見守る中、シャワーを済ませた。
***
お風呂から上がり、三谷さんが夕食を用意してくれた。
ご飯を食べながらiPhoneをチェックする。
加計呂麻島は8割が山岳地帯なせいで携帯の電波が届きにくい。
わたしはauなので息も絶え絶えだ。
Facebookのタイムラインなんか開きそうもなかった。
そんな中、メッセージがきていた。
上毛町でであって、その後、六本木アートナイトでチラッとあった、旅人のようへいくんからだった。
東京にいるからご飯でもどうか、という誘いだった。
すまんね、わたし、いま、加計呂麻島にいるんだよね。
メッセージは文字だけのやりとりなので、スムーズに送れた。
返事も、すぐに来た。
(絵が下手でわたしががっかりしてる風ですが驚いて喜んでます。「世相」には戸惑ってますが)
びっくりした。
冗談のつもりで誘ったらホントに来る。
しかも明後日。
でもそれがようへいくんだ。
そんな説得力がある、不思議な人物である。
三谷さん「明日は“豊年祭”っていう集落のお祭りで、午後からあたしの友達も来るから」
***
翌朝。
雨はだいぶ弱まっていた。
今日のお祭りは、どうやらあるみたい。
といっても、どのプログラムをやるかは、天気と相談みたいだけど。
朝から集落のみなさんが集まって支度をしていた。
わたしも、婦人のみなさんのお手伝いをさせてもらうことにした。
公民館へ着くと、男衆が土俵を整えている。
女たちは伝統的なおにぎり「力飯」の準備だ。
流れ作業の役割分担を、各々察してムダなく動く。
ラップを切るひと、ごはんを盛るひと、つけものを2つのせておにぎりを握るひと。
あっという間に全部作り終わった。
たくわんと、パパイヤの漬け物を乗せて握り、バナナの葉の上に並べる。力飯は月を表しているらしい。
カタチは集落に寄って微妙に違うそうだ。
ここ、諸鈍集落では漬け物は2つ並べて、少し楕円に結ぶ。
朝の手伝いが終わって、ひとまず家に戻ることになった。
集会場の外へ出ると、おもしろい風景に出くわした。
これ、デイゴの木にぶら下げて土俵の縄を編んでいる!
みんな業者なんかではなく、集落のおっちゃんだ。
見事なものである。
地方のおじさんはかっこいい。
ちなみに、ここは観光名所の1つ、デイゴ並木(まんでぃMAP85)だけど改めて。
お昼からお祭りが始まる。
雨、止むと良いなぁ。
三谷さんの家に帰ってきた。
昨日の夜は全然見えなかったけど、こんな外観だったんだ。
庭先にはお隣さんがいた。
「雨、止むといいですね」
三谷さんが朝ご飯の支度をしてくれている。
「いただきます」
ご飯のあとも、加計呂麻島や奄美大島の名産品をお茶請けに、お昼を待った。
雨音を聞いているつもりが、いつの間にか寝てしまった。
目を覚ますと、雨が上がっていた。
公民館に着くと、立派な土俵が出来ていた。
いよいよ豊年祭がはじまる。
わたしがお邪魔したのは9月。
豊作祈願のお祭りだ。それと、敬老の日にあわせ老人を敬う日でもあるそうだ。
その敬い方は「敬老の日と」を掲げるだけじゃない。
豊年祭のあらゆる出し物は敬老様(65才以上の人)に楽しんでもらうために、集落をあげて取り組んでいる。
保育園の出し物や
小中学生の「エイサー」踊りが披露される。
でもいちばん盛り上がるのは、なんと行ってもお相撲だ。
こども相撲から青年相撲まで、同年代が毎年身体をぶつける。
それは真剣勝負そのもので、流血したり、負ければ本気で悔しがる。
兄弟対決なんか、その勝敗で一年の立場が決まったりするから、ここは正念場だ。
その後、ひと際いい声を放つおじいさんが銭湯になって、土俵を囲んだ。
男たちが手に持っているのはあの力飯だ。
謳い踊りながら練り歩き、力飯を配ってくれた。
その後、今年生まれた赤ちゃんの土俵入りがあったり
わたしがいちばん印象に残ったのは「こども諸鈍シバヤ」だ。
「諸鈍シバヤ」とはこの地域残る無形民族文化財で、シバヤとは「芝居」が訛ったもの。
実際の諸鈍シバヤは小学生以上の男性しか参加出来ないらしいが豊年祭ではこの「こども諸鈍シバヤ」が披露される。
こどもたちの真剣な表情と、キレのある動きに夢中になってしまった。
ほほえましいとか、そういうレベルではなく、ステキだと思った。
また、このあと女の子3人で披露したフラダンスがとってもステキだった。
ハッとするほど上手なのに、写真で伝わらないのが悔しい。
最後は、敬老様を含む集落のみんな全員で、輪になって踊る。
「8月踊り」という。
簡単な節回しで、短い振り付けを繰り返し行なう。輪になって、土俵のまわりを何度も何度も、回っていた。
むかしはこれを夜通し行なっていたらしい。
敬老様たちは、きっといい思い出があるのだろう。
みんないい笑顔をしていた。
その輪で一緒に踊る三谷さんがステキだった。
午後から、三谷さんのともだちが来るという。
港まで、迎えにいこう!
***
昨日来たばかりで全然島に馴染めていないわたしは、
みんなと8月踊りをおどる三谷さんがまぶしかった、という話をしてて、
「でも昨夜、がんばってゴキブリを一緒にシャワー浴びたよ!」と
わたしの郷に入れば郷に従え魂をドヤって聞かせると……
わたしはまた不用な人生経験を1つ積みました。
顔で笑って心で泣いてってよ、へへへ。そこが渡世人のつれえところよ。