人呼んでフーテンのコヤと発します。
1年前の2014年9月7日から14日まで「奄美大島・加計呂麻島 女もつらいわ」と題しまして、小説家の三谷晶子姐さんをたずねてまいりました。こちとら容姿のうま味はかあちゃんの腹ん中に忘れてきちまったけれど、美しければいらぬ悲劇もあるようで、あばたも至福とはまさにこのこと。
これは悲しすぎるお話よ。
加計呂麻島の観光名所を探すと必ず載っている「むちゃ加那公園」
わたしがブログの冒頭でまねしている寅さんの劇中でも、マドンナのリリーさんが歌うシマ唄「むちゃ加那節」のそれだ。
「むちゃ加那」なんて音だけで聞くとおてんばな加那ちゃんという女の子でもいるのかなと思うけれど、お話はもうちょっと悲しい。
むかしむかし、加計呂麻島の意見間に「ウラトミ」とい絶世の美女がいたそうな。
時代は薩摩藩が琉球王国を制したころで、薩摩の代官はウラトミを現地妻にしようとしたらしい。
拒絶したウラトミに代官はウラトミの家族だけでなく生間の村全体に重税を課すなど圧力を強行。
なやんだウラトミの両親は泣く泣くウラトミと食料、三味などを小舟に乗せて、「生きながらえてくれ」と海に逃がした。
数日漂流し小舟は奄美大島の隣島、喜界島の小野津に漂着。
そこで出会った男性と夫婦になり、子宝にも恵まれ、次女として生まれたのが「むちゃ加那」だそうだ。
16才になったむちゃ加那は母をも超える美少女で、その美しさはシマ(集落のこと)の女達の嫉妬を買ってしまう。
ある日、アオサを摘みに行こうと村の女達に誘われ出かけると、女達はむちゃ加那を海に突き落としてしまった。
娘の変わり果てた姿を見たウラトミは、悲しみのあまり崖から身を投げ娘のあとを追ったという。
そんな悲劇の一生を終えてしまったウラトミの出身地である生間に、鎮魂の碑を建て、そこを「公園」と呼んでいる。
だから、別に遊具があるような公園じゃない。
鳥居をくぐると、ちょっと長い参道がある。
一説によるとこの道は、子どもが通るとさらわれるという噂が、あるとか、ないとか。
まぁまぁ長い坂道ですが、まだ「一説」を聞いてなかったわたしには冒険心くすぐられるいい感じの小道です。
頂上に到着するとこんな感じ。
畳にして20畳あるかな、というほど小さな丘の上にある。
島唄の「むちゃ加那節」が刻まれた碑と、小さなお社。
彼女たちに加計呂麻島が捧げたのは、きっとこの綺麗な眺めです。
いつか、あらゆる悲しみが洗い流されますように。