天井がないと、いくら壁があっても音が回る。
「毎日6時には目が覚める」という母が起きて、洗濯機でも回せば、懸命に朝寝坊しようとしても難しい。
起きてみることにした。
ただの怠慢なのか、それともサービス精神なのか分らないが、
この作品が「生活の展示」であるならば、なるべくリアルな生活を見せつけたいと思う。
イベントレポートの執筆が深夜におよび、荒れている机。
(私は取り組んでいることが終わるまで、整理したくない質なんです)
足場に干される洗濯物……は玄関の外なので展示に関係ない。
もはや住み慣れた我が家かのようなくつろぎを見せる母。
まだ滞在2日目です。
今日はこの街・小須戸にて「喧嘩灯籠祭」があるとのことで、小須戸に展示してあるもうひとつの作品を見るついでにチェックしに出かけた。
この家は作品として展示中、必ず1人は滞在していて欲しいと頼まれていた為、母を残して家を出る。
目の前の道路。
中央車線に規則的に配置されている丸いものは融雪パイプの噴出口で、冬になって雪が積もると、あの穴から水が出てきて道路の結露を防いでくれる。
この設備があるのは豪雪地帯の印。
うちの(本当の)実家近辺にはない。
真っすぐ歩くと諏訪神社にぶつかった。
どうやら今日の「喧嘩灯籠祭」の主催神社のようだ。
あたりはシーンとしてるから、主役たちはすでに出発済みの様子。
神社検定の作法を思い出し、ご挨拶する。
参道にはたこ焼きとヨーヨー釣をかねた屋台がポツンと出ていた。
しかし、お社は意外と大きい。
町の大通りに出ると、ちょうど喧嘩灯籠と遭遇。
どうやらもうひとつの住吉神社まで練り歩いてる途中ようだ。
喧嘩燈籠祭の起源は古く、遡ること350年。
小須戸の豪商・吉田家が祇園祭に憧れて、京都から灯籠を買い付けたことに始まる。
その後、、町内でも灯籠を買い始め、京から人形師を呼び寄せ、美しい人形を飾って華美さを競い自慢し始めたとか。
そのうち「諏訪の神さまは戦の神さまだから、喧嘩が大好き」と因縁付けて喧嘩祭となったそう。
燈籠は松、竹、梅、桜の4基を、抽選で2組に分けてぶつけあう。
あまりの喧嘩の激しさに、昭和5年、燈籠を出さずに祭を終えた所、諏訪の神さまが怒って、カミナリが十数カ所に落ちたという記録も残っているそうで、あながち嘘でもないらしい。
「ドン、カラカッ。ドドン、ドン、カラッカカ!」と威勢のいい太鼓が通りに響く。
燈籠を担ぐ血の気の多そうな面々には、新潟美人の姿も。
かっこいいなぁ~。
私は同じ新潟市出身でも、新興住宅地だったため地元のこういったお祭りがなく、神輿を担いだり、半被を着たりって経験がないので憧れる。
東京も祭は多いけど、やっぱり祭は地元の氏子たちのものだしね。
ルーツのある生き方に、憧れる。
小須戸は信濃川からの水運の渡し場として栄え、江戸時代から船着き場があったそうだ。
商人や職人が多く住まい、現在でも25%は戦前に建てられた伝統的な町屋がならぶ町並みは、全国的に見ても珍しいとのこと。
これから行く「水と土の芸術祭」の作品も、典型的な小須戸の町屋住宅を使って展示してある。
現在も営業している薩摩屋さんだ。
1階の商店部分の奥に、その作品は展示してあるらしい。
表通りから細長い間取りの小須戸町屋。
入口から「ミセ」「イマ・チャノマ」「トオリドマ」と構成されている。
「ミセ」の2階には「ザシキ」と呼ばれる客室も。
トオリドマの脇に中庭があるのも、小須戸町屋の特徴。
また、トオリドマも一色線ではなく、少し折れ曲がり、炊事場や風呂に利用されている。
ここに展開されている作品が、
南条嘉毅さんの作品「信濃川」 作品No.【53】
よし、じゃ行ってみようかな、と足を踏み入れると……
「いま、作家さんが来ていて、作品の修復をしてますよ」
なんと!
贅沢なことに南条さん直々に作品の解説をしていただいた……!
南条さんは信濃川の源泉から海までの全長367kmを、すべて足だけで歩き川辺の風景とそこの土を採取。(10日間かかったらしい……!)
その場所の土を使って絵画作品を制作したそうだ。
今は人が暮らしていない、この町屋のイマ・チャノマに寝泊まりして……
「ここに積もっている細かい土ぼこりも、実は信濃川から採取した土なんです」
えっ! この、土間にうっすら積もっているこれも?
「はい。入口が下流で、奥に行くに向かって上流で採取した土を撒いてます。どこまでが作品で、どこまでが日常なのか、分り難い感じが良いかなと思って」
と気さくに南条さんは笑う。
しかもこの土、キチンと乾燥してふるいにかけて、細かい粒子まで分類して「配置」したというから……
いやいやいや、途方もない作業でしょ。
トオリドマの“下流”のほうにあった絵、「関屋分水」
私にとって馴染みある風景だ。
全体の中央に位置する「オクザシキ」を越えた先のトオリドマ。
ここに積み上げられた土も、その膨大な手間によって積もっているかと思うと身震いする。
すると南条さんがこの浴室を見て小さな悲鳴を上げた。
「あ、ああ、そうか……」
どうしたんですか?
「いやぁ、この作品を展示した時は、窓の外が草に覆われていて、良い感じだったんですけど……。そうかー、苅りますよね。そっかー……。まぁ、こういう変化も、面白いですね。ははは」
私は南条さんの、あの小さな悲鳴を忘れない。
トオリドマの一番奥の棚に、こんもりと土が積んである棚を見つけた。
この土はきっと信濃川源流近くの山の土だろう。
だけど私は、これを見て旧齋藤家別邸の砂丘を利用した庭を思い出していた。
地面に大きな穴が空いていた。
「これ、手で掘ってみたんです」
!?
「どのくらい深く掘れるかなぁと思って。今は穴の底もカラカラですけど、雨がふるとここに水が湧いてきます」
えっ?
「信濃川が近く、海抜が低いせいか、大雨が降るとこの穴に水がギリギリまで上がってくるそうです」
家の下がそんなことになっているなんて知りませんでした……
「いやー、しかし……」
と、南条さんはあたりを見回す。
「この部屋にもそこら中、うっすらと土を撒いたんですけど、見事に踏み固められて土間と一体化してますね。うん、これもアートです」
作品は2階のザシキにも展開しているという。
日本家屋独特の、急な階段を登った瞬間にタイムスリップした。
「作品の構想はあらかじめなんとなく作ってあったのですが、この場所を見て、この作品を急きょ作りました」
この作品の名前は「砂利舟」
信濃川でもよく往来していた舟で、小須戸の人たちも、新潟祭の時にはこれに乗って花火を見に行ったししていたそうです。
「ボロボロの畳や、波打つ天井を見て感動しました。
1階店舗の自動ドアが開くたびに大きく揺れるんですよ。
作品を展示する頃には改装すると聞いて、慌てて止めました。
この場所が気に入ったんで、このまま展示させてくださいと、お願いしたんです」
この部屋は屋敷の中で一番大切な客間だ。
それこそ、喧嘩燈籠祭の日には、ここに客人みんなで集まって、祭を見たという。
「昔は自分が贔屓にしている燈籠が劣勢だと、石を投げて応援したと言いますよ」
展示してる作品は、そんな激しい「動」とは対極にあるような、信濃川の源流から加工までの景色が、屏風に描かれていた。
よく見ると、中流部分の土は砂利っぽく、荒々しい質感になっている。
「ステンシルでエッジが綺麗に出るように気をつけました。土はアクリル画に使われる下地材で定着しています」
そして、私にとって馴染みのある下流の風景は、こんな風に描かれていた。
「これは下流の信濃川のほとりに、沢山マンションが建っていたので、その風景を描きました。土も海に近いので、ほとんど砂になっていて……」
河口の都市部にとって川沿いはおしゃれな「リバーサイド」だ。
景観の良さそうな高層マンションが建ち並んでいる。
お話を伺っている間に、地元の中学生がやってきた。
なんでも、南条さんに代わって、来場者の方たちに作品を紹介するボランティアだそうだ。
中学生に南条さんから作品を解説してもらったことは? と尋ねてみた。
「いえ、今日、初めてお会いしました。」
今まではメインスタッフの男性から、伝聞で解説を聞いていたそうだ。
なんたる感動的な瞬間に立ち会えたんだろう。
そして、そんな中学生より早く南条さんを独占してしまって忍びない気持ちになる。
せっかくなので記念写真を撮らせてもらった。
左から、
「水と土の芸術祭」スタッフの方、南条嘉毅さん、小須戸中学校のボランティアのみなさん。
このボロボロの部屋も、この展示が終われば改装するだろう。
そうなると、この「水と土の芸術祭2012」がこのザシキにとって、最後のおもてなしになるのだ。
中学生に改めて質問してみた。
もともと、美術は、好き?
「いえ、あんまり、詳しくないです」
なぜ、ボランティアをしてみようと思ったの?
「なんとなく、楽しそうだなと思って」
南条さんの作品、ぶっちゃけ理解できた?
「解説をきいたら、そうなんだって気がつくことがあって、面白いなと思いました」
良かった。
ものすごく芸術に造詣が深くて詳しい子じゃない、ごくごく一般的な女の子が、こんな風に参加してくれていることが、なぜかとっても嬉しかった。
来場の証を書かせていただく。
「水と土の芸術祭で見回ったことを、ブログでレポートにしている」というと、南条さんは「じゃあ検索してみよう」と言ってくださった。
遅くなってしまったけれど、エゴサーチでこのレポートが見つかってくれることを祈る。
帰り際、中学生にもうひとつ質問してみた。
喧嘩灯籠祭、楽しい?
「はい。結構盛り上がると思いますよ」
お祭りに、参加してる?
「夜になったら、みんなで広場の盆踊りに行く予定です」
その返答にも、なぜだかホッと安心した。
店を出るとケータイに着信がいっぱいあった。
母、兄、……近藤陽一郎!?
近藤さんから留守電も入っている。
『えーっと、近藤です。今、えっと、ユウのおかあさんと作品になっている感じです。連絡ください』
えっ!?
近藤陽一郎は新潟県長岡市在住の友人である。
出会いは私がまだ19才の時。
マスコミ業界に飛び込みたいとムリくり潜入した「20代の出版社」で、一足早くライター・編集として活躍していた先輩だ。
「先輩」といってもその付き合いはフランクなもので、同郷ということもありすっかり打ち解け、その後それぞれの道を歩んでいても、家が近所で遊んだり、事務所をシェアして何かと一緒にやったり、仲良くさせてもらっていた。
数年前、近藤さんは帰郷し結婚。
これまた距離的にも別々の道を歩んでいたのだが、遊びに来てくれたんだ!
そういえば、ブログにコメントくれていたっけ。
ケータイには兄からもメールがきていた。
『最寄り駅なう』
兄よ、まさか電車で来たのか。
近藤さんに電話を折り返すともう、我が家(天井がない方)を出た後とのこと。
近くに居るようだったから、合流して、再度我が家へお招きする。
近藤さんの車の給油こうに貼られていた、懐かしいステッカー。
屋根のない我が家に、母と近藤さんが並んでいる。
なんだこれ?
近藤さんは抜かりない。
オクサマとともにステキな手みやげを持ってきてくれた。
小須戸への最寄り駅の1つである矢代田駅近くにある、洋菓子店「お菓子工房ビッテ」のマカロンとケーキ!
店内も洒落ていて可愛らしく、なによりお菓子がおいしい。
こんな洒落たところがあるなんて知らなかった。
INAKAにだって、良い店はある。探せば。
そして手前の「醤油おこわ」は長岡の郷土料理。
長岡で赤飯と言えば、赤くないけど醤油おこわなのだ。
もっちりコシのある餅米がおいしい。
そこへ、ちょうど兄も登場した。
甥っ子や姪っ子も一緒かと思ったら、ソロだった。
なぜか紙粘土を片手に持って。
「この部屋はテレビも写らないし、娯楽がないって言うから、持ってきた」
紙粘土は娯楽か?
私が実家へ帰ったり、兄の家に遊びに行ったりすることはあるけれど、
1等親(私から数えると兄は2等親だが、母から数えて)がこうやって会することは珍しい。
せっかくなので近藤さんに家族写真をお願いした。
「“家族写真”なんだから、写真館で撮るみたいな真面目な顔で写るよ!」
と、私が家族にアナウンスする。
我が家には天井がない。
母が家で留守番をしていてくれるとのことで、さっき見た小須戸の町に兄を案内することにした。
すると兄が、1つのミラクルを起こす。