人呼んでフーテンのコヤと発します。
1年前の2014年9月7日から14日まで「奄美大島・加計呂麻島 女もつらいわ」と題しまして、小説家の三谷晶子姐さんをたずねてまいりました。東西に延びる加計呂麻島。
東を鎮西地区、西を実久地区と余分だそうな。険しい山が連なった加計呂麻島は、東西の交流が持ちにくく、そのおかげで西の実久地区には古くからのシマ(集落のこと)のたたずまいが、残ってるんだってよう。
最初に訪れたのは須子茂小学校。
いまは休校中のため、子ども達の影は見当たらないんだけど、大きなデイゴが、たくさんのことども達との思い出を語っている。
この須子茂小学校には逸話がある。
戦後間もないころ、加計呂麻島では夜間しか電気の使用が行えず、小学校への国庫補助時金の打ち切りのため、視聴覚教育の自家発電機が創れなくなってしまったそうだ。
この嘆きを当時の校長がNHKの早朝番組に投稿したところ、大手ゼネコンの鹿島建築の社長が偶然聞いており、資金援助を申し出て発電機が整備されたそう。
また、出稼ぎのためにシマを明けている男達に代わり、シマや家庭を忍耐強く守っている母親達の姿を励まし残したいと考えた校長の考えに共鳴し、同小学校には「母と子の象」がある。
……写真撮ってなくてごめん。
また、小学校の裏には文化遺産の「イジミ(泉)」が。
わたしたちが行ったときは水量があまり多くなかったけれど、地元の方は今も大事に使っているとのこと。
沖縄・奄美地方には古くから伝わる「うなり神」信仰が残っている。
「うなり神」信仰とは、女性が男性兄弟を霊的に保護するというもので、
集落には「ノロ」と呼ばれる女性の神人(カミッチュ)がひとりいいて、豊穣祈願や無病息災の祈りを捧げていたそう。
その祭事を行っていたのがシュル悪の中心にある舞台「アシャゲ」で、神物や神棚を奉納しておく小屋が「トネヤ」なのだ。
そして、わたしが大好きなのが、「カミミチ」。
「カミミチ」とは神の道で、山の神様が海へおりためにある道で、ひとがひとり、通れるかなという道。
山から海に向かってすらっと伸びてる。
このカミミチは集落によっては消滅してしまっているのだけれど、須子茂はとっても綺麗に残っていたよ。
写真は、撮らなかった。
興味があれば、ぜひ自分の目で探してみてね。
その代わりといっては何だけれど、びしっと整えられた、須子茂集落の生け垣!
いつもきれいな「角刈り」なんだそうだ。
三谷さん「須子茂集落阿はいつも生け垣がきれいな角刈りなんだけど、村長さんも、角刈りなんだよ」
……その情報!
あと、記事を書くのにいろいろ調べていたらここがおもしろかったです!
須子茂集落は歩きながら遺物の土器が拾えるらしい!
「カミミチ」の写真もあるよ。
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