この日はドーソンシティを旅立つ日。ドーソンシティと言えば、かつてゴールドラッシュで賑わい「北米のパリ」とよばれた町だとか。
とはいえ、オーロラのことしか頭にない私には、ここかそんなに賑わっていたと言われたってピンと来ない。そんなわけで、ドーソンシティの歴史と一緒に古い建物を回ることになった。今回は説明が多いので、私の主観は少なめに、写真とともにレポートするよ。
腹ごしらえを済ませ、やってきたのはドーソンシティの観光用インフォメーションセンター。
案内してくれる……(ごにょごにょ)さんと一緒に回るよ!
(名前忘れてごめんなさい)
我々は「オーロラ」一辺倒でしたけど、ドーソンシティはマニアに人気の観光地でもある。
シニアは壮大な自然を求め、またゴールドラッシュの面影を残す歴史の町……古都を求めて来るそうな。
中でもドイツ人には熱烈なファンが多く、ドールドラッシュを体験した著者ジャック・ロンドン氏の小説に憧れてこの街へ来る若者が後を絶たないそう。
私も、ここへ来る前に代表作「野生の呼び声」を拝読してしていたけれど、なるほど、身体中の血液がたぎるような興奮を覚える名著だったよ。
最初に案内してもらったのが、ユーコン川のほとりに展示してある蒸気船SS KENO。
これは、ゴールドラッシュが終わった後、ユーコンとスチュワート川を往復していた最後の船だそうだ。
ビル3階建て程の高さがあり、ドーソンシティでは今もこの船より高い建物を作ってはいけないらしい。
また、100年前の景観を保つよう自治しており、街全体を世界遺産しようと働き掛けているそうだ。
現在のドーソンシティの人口はわずか2000人。
夏至には白夜となり太陽が沈まない夜が訪れ、冬至になると暗夜と呼ばれ逆に太陽が昇らない昼が訪れる。
厳しい冬の寒さのため木は生えることができず、このドーソンシティも「世界一寒い街」といわれている。
いまからたった、100年前。
この街に、かつて1万人以上が暮らしていたというのだ。
ドーソンシティの歴史を少しおさらいしよう。
1950年まで他所から来る道さえなかったドーソンシティ。
近郊のクロンダイク川で金が発見されたのが1896年。
1897年1月までは5軒の家しかなかったが、ゴールドラッシュの噂を聞いて春までには1,400人に膨れ上がったと言われている。
そうなると物価は上がり、住居は不足し、テント暮らしもざらだったそう。
夏の終わりには人口は3,500人を超え、不衛生なテント暮らしをしている街ということで「ロウスタウン(シラミの町)」と呼ばれていたそうだ。また、初めて出来た銀行も当初はテントで、テントの中のアタッシュケースで一億円の現金を保管していたらしい。
1898年にはビジネスマンや資産家もこの街で一儲けしようとやってきた。町の中で建物を建てられる土地は4万ドルで売られ、当時ニューヨークの4部屋あるアパートでも家賃が120ドルという時代に、ドーソンシティでワンルームを借りると100ドルしたそうだ。
同年には新聞も発行され、電話、水槽の設備も整い、銀行が2つ、新聞社は2社、教会5つ、製材工場が12戸、酒場とダンスホールは増え続け、2200人収容できる劇場も出来た。
人口はドーソンシティで16,000人、近くのクリークという町には15,000人が暮らし、酒の消費量は545,000リットル(参考:学校の25メートルプールでおよそ360,000リットル)!
ゴールドラッシュを夢見て目指した人間は100万人とも言われているけれど、実際に辿り着けたのは4,5万人。
8時間掘り続ければ400万円分掘れていた金鉱も、所有権はあっという間に全て抑えられ、ほとんどの人は雇われて金を掘ったり、ドーソンで暮らす人を相手にする商売でお金を稼いでいたらしい。
食料などの物資の運搬に活躍したのがこの蒸気船で、ピークには250隻可動してたそうだ。
ホワイトホースからユーコン川を下り2日で付くが、戻るのには3週間かかり、冬の間8ヶ月間はユーコン川が凍ってしまうので運行することができない。
もちろん、人も乗ることは出来るのだけど、ドーソンシティで15~20日間働いた給料と同じ金額でやすやすと乗れるものではなかったそうだ。
これがユーコン川。ちなみに、数億年前は流れが逆だったそうだが、地殻変動で今の流れに変ったらしい。
そんなユーコン川の対岸に、何やら船が?
実は水も電気もないはずの洞穴にビルさんと言われている人が暮らしているらしい。
彼は朗らかで町の人気者らしく、時折ボートに乗ってこちらへやってくる姿が確認される。
洞穴の中は意外に快適らしく、なぜかインターネットも出来てるとか……?
もちろん、冬も洞穴で越冬するんですって!
次にやってきたのは「彼女をレンタルできる場所」。つまり、売春宿。
これは、当時の建物をそのまま残したもの。
ドーソンシティでは1961年まで売春は合法で、娼婦はその売上の一部を病院に寄付する義務があったため、最初に出来た病院はかなり立派だったらしい。
これはドーソンで最初に建った銀行らしいけれど、ただいま修復作業中。
もう一棟の銀行はこちら。
北米で初めて出来た銀行らしい! (ってことは元テント?)
ドーソンのマネーと言えば、もちろん金。
とにかく一番重い鉱物である金は、良く見るブロッックみたいなサイズの延べ棒1つで12.5キロ!
(上の写真の左下に映り込んでる大きさだね)
よくマンガとかで風呂敷に延べ棒を何本も担いでいるけど、あんなの不可能なんだって。
もちろん、屈強な鉱夫だってそんな重いものを故郷に持って行けるわけもなく、
鉱夫たちは金塊を持ち込み、銀行は紙のお金に変換するというわけ。
だから、銀行にあるのは電卓やそろばんではなく、天秤!
そして、銀行の奥の部屋には……
大きなストーブ? そう、これは「炉」。
持ち込まれた金塊を金の延べ棒にするのも、銀行の仕事だったんだね。
窓際には薬品の瓶が。
次の建物に向う間、目にしたこちらの元・お店。
何屋さんだと思います?
正解は、葬儀屋!
それも、墓を地面に掘るというスタイルの葬儀屋さん。
当時(まぁ今もだろうけど)木材は貴重だったので、土葬が一般的で、地面が恐降り付く夏の間にしか掘ることができない。
だから、人が死んでから穴を掘っていては間にあわないわけ。
そんなわけ葬儀屋の主な仕事は町の住人たちを眺め、次に死にそうな人サイズの穴を掘ること。
当時の墓は縦穴だったらしく、その主の身長や恰幅にあわせて掘ったそうだよ。
もちろん現在は廃業していて、建物は売春宿と同じように展示用として残されているだけ。
ショーウィンドウでは当時の医療器具が展示査定て、これもなんか、怖い。
ええい、怖がって何ていられない!
ゴールドラッシュだもの、もっと派手に行かなくちゃ!
付いた場所はこちら、ダンスホール!
(ごにょごにょ)さんは私たちを裏口に手招きします。
当時、この裏口は踊り子の出待ちなんかで賑わっていたそう。
カーテンで仕切られた小さな小部屋? に通されて、少し説明を受けた後、風景は一変。
カーテンは緞帳で、私たちはステージの上にいたんです。
実はこちらの建物、当時の建物を再現して立て直されたもの。
オリジナルのダンスホールは火事で焼け落ちてしまったそうなんだけど、酒場の場所だけは分ったそうな。
それは、酒の支払いに金を使っていたのだけれど、床板のすき間にたくさんの金が落ちていたから。
なんとも豪快な話。
踊り子に恋した豪快な話も聞いた。
「当時のビルゲイツ」と呼ばれ、金で大儲けした男がとある踊り子に袖にされたそうだ。
その踊り子は玉子が好きで、当時の玉子は高級品。
踊り子に振られた“ビルゲイツ”は頭に来て、踊り子を見返すために街中の玉子を5万ドル出して買い占め、踊り子を50Kgの金で自分のものにしたそうだ。しかし、そこまでして手に入れた踊り子もたった半年で捨てたそう。
また、この劇場のオーナーだった男の話も豪快だ。
ゴールドラッシュで一山当てたオーナーは踊り子の妻とこの劇場をオープン。
目玉の見せ物は、3階の特別席からステージに立つ踊り子の嫁が持ったショットグラスを銃で撃ち抜く、というもの。
しかしある夜、嫁の親指を誤って撃ってしまい、大げんかになったそうな。(離婚はしなかったんだって)
ケンカですんで良かったよね。
この劇場は現在もイベント会場として使われており、(ごにょごにょ)くんのお姉さんの結婚式もここで行うそうだ。
こんなに豪快で荒くれ者だらけの町だっけれど、1898年のドーソンでは殺人事件は1回もなかったそう。
それは、町の中でピストルなどの所持が禁止されていたからと言われているけれど、(ごにょごにょ)さんは「こんな荒くれ者だらけの町で悪さをしたら生きていられないだろう」と言っていて頷けた。
ドーソンシティにとって1898年は本当に激動の年だ。
この賑わいを後押しするように、同年の6月13日には「ユーコン準州」が誕生し、ドーソンシティは最初の州都になり「北米のパリ」と呼ばれたんだそうだ。
その「北米のパリ」を象徴する1つが郵便局。
極北であっても木材をふんだんと使い、電報などは遅れることなく、キッチリ届いていたらしい。
当時のポストマンはその正確な強靭さから尊敬されていたそうな。
ヨーロッパと遜色のない公共事業を設備面でも整えることで、この町の重要さを示していたそうだ。
……ただ、暖房費がとてつもなくかかったため、このポストオフィスはあまり長く使われなかったそう。
次の建物を見学する前に、通りかかったのは当時から現在まで営業を続けるこの町最古のホテル。
今でもインターネットなどを介して予約し、宿泊することも出来る。
1階のサルーン(酒場)は地元の人に今も愛されており、経年で歪んだ床は「飲んでいなくても酔った気分」にさせ、壁には地元の人達が書いた“ちょっぴりエッチな絵”が飾られているそうだ。
ドーソンの大事な数字、「1898」
で、当時の「サルーン」を再現したのがこちら!
中に入ってまぁ、びっくり!
シラミの町と呼ばれたり、失恋に狂って町中の玉子を買い占めたり、不潔で子供っぽい「荒くれ者」達が集う場所と聞いたから、どんだけ場末かと思ったら、マダムでも集まりそうな高級感!
しかもこれ、上流サルーンを再現しているわけではなく、これで普通らしい。
突然お金を得たならず者たちは金の使い方を知らず、とはいえ金で遊ぶことしか出来ず、ここで酒を煽り、ギャンブルに興じたそうだ。
カナダはイギリス連邦加盟国なので、イギリスに敬意をしめすシカケがチラホラ。
コーヒーカップの底に透かし彫りされた肖像。
テーブルに囲まれたカーテンを閉めるとポーカーの始まり。
一晩のうちに1000万消えてなくなるのもざらだったとか。
そんなわけで誰でも潤沢なゴールドマネーを持っていたわけではなく、一晩ですっからかんになった場合などに発行される借用書。
金が採れたら支払う、ツケ。いわゆるワンピース的には「宝払い」ってやつですな。
最初に、この町並み全体で世界遺産に登録しようとしている試みがあると書いたけれど、
町に建っている古い建物全てが本当に古いわけじゃないそうだ。
たとえばこれ。
この寄り添う建物。
実は1980年代に建てられたもの!
となりのカラフルなログハウスは1970年代に建てられたそうで、この寄り添い物件より築年数は振るいそうだよ。
もちろんこの建物は使われておらず、建築目的は「雰囲気づくりじゃないですかね」とのこと。
なんという有閑倶楽部。
こっちは1898年の鍛冶屋だった建物。
これも当時の銃砲店跡とのこと。武器の所有は禁止されていたそうだから、狩猟用かな。
最後に案内してもらったのが、こちらの建物。
ドーソンシティに入るとき、最初に目にする、ひと際目立つ建築。
ドーソンシティの市長公邸。
つまり、この町で一番偉い人の家。
当時の警察官の恰好した……(もにょもにょ)さんが出迎えてくれたよ。
あと、ぴょっこりと参加してきたのが……
大型犬ばっかり見てきたから猫、新鮮!
朝露に濡れた草を掻き分けて歩いたのか、足元びちょびちょ。
この、歴史的建造物の中を足カバーを付けて見学します。
市長と言う公認ではありますが、自宅と言うプライベート空間にたくさんの客人を招いて、たくさんの交渉が行われたと言います。
木材が貴重なこの地に、2階建ての建造物を、町の入口に建てると言うこと。
郵便局と同じく、いかに「ドーソンシティ」が世界を意識していたかが分ります。
館内を見回った後は、当時の「交渉」を思わせるティパーティがテラスに用意してありました。
当時、凄かったのは市長ジョージの奥様マンサーブラッドさんで、とてもパワフルな女性だったそう。
町での活動にも熱心で、権威を示す屋敷の庭野管理は奥様ひとりでやられていたらしい。
この極北の地で、イギリスのような庭を保つことは並大抵のことではないそうだ。
だから今も、この公邸にはきれいな花が絶やさず植えられている。
ちなみに、この建物も暖房費がバカにならず、あまり使われなかったらしい。
恐るべし極北。
魔法の数字1898に目紛しく花咲いたドーソンシティだったけれど、その栄華は短かった。
すでに新規金鉱の参入が出来なったドーソンシティをよそに、同年、アラスカのノームでも金が発見された。
8000人は新たな土地を求めて旅立ち、酒場は賑わいに陰りを見せ、ゴールドラッシュは「一獲千金」の夢ではなく、地道に掘り採集してく採鉱産業が中心になってしまった。
たった3年後の1902年には4万人近かった人口は1000人以下になり、ゴールドラッシュは幕を閉じたそうだ。
1914年、第一次世界大戦の勃発により多くの鉱山は閉鎖。
1930年代半ばに金採掘復活に伴い一時的にブームは起こったけれど、最後の浚渫機「ドレッジ4」も1952年に閉鎖。
翌1953年に州都もホワイトホースへ移され、現在に至る。
ただ、そういった歴史的背景に目を付け、1960年、あの結婚式も挙げられるダンスホールがパークスカナダの手によって再建された。
それを皮切りにあのサルーンや郵便局、銀行のように「クロンダイク国立史跡計画」として次々に町の建物を再建していったそうだ。
今では約6万人が夏のドーソンを訪れ、100年前の栄華に想いを馳せているとのこと。
……と。
いよいよ、ドーソンシティを旅出す時間が迫ってきた。
目指すはふたたびホワイトホース。
9時間のドライブ……は復路は遠慮させて頂いて、飛行機で向う。
今夜の宿はホワイトホースの郊外にあるロッジ。
自炊なんかも楽しめるらしい。
さて、出発という頃に安藤さんが買い求めてきたのはこちら。
地ビールの「ユーコンレッド」とウィスキー。
この「ユーコンレッド」かなり美味しいらしいんだけど、カナダの「郊外」のスケール感を警戒した安藤さんは、絶対に買い逃すまいと調達していた。酒がそれほど美味しいのか、安藤さんにそれほど酒が必要なのか。
そうそう、ドーソンシティの歴史建築に混じって、こんな建物も建っていたよ。
これ知ってる? 「カメラ・オブスクラ」
直訳すると「暗い部屋」なんだけれど、ピンホールカメラの原理を利用して、もしろい現象が体験出来るとか。
二重のドアを開けて小部屋に入ると、なるほど真っ暗。
一部、その光を取り入れて、明るいようなところがあって……
ん? なんだこれ?
目が慣れてきたら……あ!
青いのは空で、上に車が!
逆さに移った外の様子だ。
18世紀にはリアリズム画法の下絵作成に使われたりした手法で、こういう観光地用の施設は東京ディズニーシーにもあるらしい。
知らなかった。
うわ~~~、結局長くなっちゃった。
ここらで一旦止めたいところだけれど、この日は移動日で特記することがそんなにないから、写真レポートを続けちゃいます!
名残惜しいドーソンシティを後に、向った先はこちら。
……空港です!
バスの待合室みたいな小部屋で飛行機を待つ。
特にアナウンスのないまま1.2時間余裕で遅れる飛行機。
誰も慌てず、「飛行機は遅れるもの」とばかり、のんびり待ってる。
バスと言えば経由地に停泊して乗り合っていくものだけど、このローカル飛行機はまさにバス。
アラスカ方面からすでに乗客を乗せて、ドーソンシティを乗り継いで、ホワイトホースへ向いそうな。
空港スタッフなんて3人くらいしかいないからね。
3時間ほどでホワイトホース到着!
途中、スーパーマーケットに立ち寄って、ロッジでつまみ食いするお菓子を買ったり、せっかくキッチンがあるんだからお料理しようと、麺や冷凍シーフード、豆腐等々を買い込んで……いったい誰が料理するのだ?
ロッジに向うドライブ途中、空に何だか不思議な虹が?
分るかな、雲のはじっこが、なんだか色がついているように見えて……「虹?」とつぶやく。
するとジェットさんが
「あれは“彩雲(さいうん)”だよ。珍しい現象だなー! サングラスあればもっとよく見えるぞ」
ポケットからサングラスを取り出し眺める。
ホントだ!
色がよく分かる!
サングラスをカメラのレンズに押し当て、写真を撮ってみた。
ね、きれいでしょ?
ホワイトホース空港から、またクロンダイクハイウェイを北上してる途中に車は左折。
どうやら今夜の宿、サンドックリトリートの「サンドック リゾート ロッジ」に到着。
入口は、林で、広大な土地の中に路地が点在しているらしい。
一棟一棟が木々に遮られているせいもあり、全然見えない!
一棟2人のペアになり、
女性の私と山下さん、ジェットさんとファンキーさん、平田さんと安藤さん、小原さんはひとりというチーム分けになった。
ここのロッジへ行く前に、全体の施設を説明してもらう。
(手前の女性、オーナーの奥様だけどノースリーブだ! 恐るべし白人)
これが今年新設したという「オーロラハウス」
ソファに座り、室内の大きな窓からオーロラが観測できると言うもの。
あれ、そう言えばとなりの白いの望遠鏡ですか!?
また、このコテージの前には……
開けた大地とキャンプファイヤーの設備が!
そう言えば、連日サバイブなオーロラハントで、こういう「オーロラ鑑賞施設」を訪れたのは初だった。
お手洗いだって、近くにきれいなアウトハウスがある。
いいねぇ。
さすが専用施設は全然違うんだねぇ。
また、「SUNROOM」と書かれた共同レクリエーションルームからは、無料高速Wi-Fiも飛び、前には屋外に24時間ジェットバスも。
(手前の茶色い蓋を開けるとジャグジーじゃー!)
しかし、用意された設備の写真では意味がない面々がいる。
「夏オーロラ」の象徴である水辺に映ったオーロラを捉えたい、カメラマンやビデオブロガーだ。
施設の人は言う。
「ユーコン川が近いので、そこからオーロラ観測できますよ」
近いってどのくらいですか?
「この道を真っすぐ、歩いて30分くらいです」
……全然先が見えませんけど?
車で入れる中腹部分まで送ってもらう。
それでも、やっぱり先は見えない。
でも明るいうちに確認しておかなくちゃ。
暗くなってからじゃ絶望的だ。
施設の人に見送られる時「クマには気をつけてくださいね~」って言われたけれど、どう気をつければ良いの? ねぇくまさん。
ふと、ジェットさんがリンゴを握っていることに気がついた。
コヤナギ「おやつですか?」
ジェットさん「バカ、クマが出たら投げて逃げるんだよ」
コヤナギ「wwwwwww」
ジェットさん「服も一枚ずつ脱いで置いて逃げていけば時間稼げるから」
コヤナギ「え? もしかして本気ですか?」
ジェットさん「はぁ? 当然でしょ」
聞けば、ジェットさんの故郷ではクマが出ることもあるらしく、
ジェットさん「小学校の遠足で山に登る時は、マタギの人が付いてきたからな」
な、なんだか心強いっす。。
シラカバに挟まれた道の左手は森だけど、右手は豊かな麦畑。
もたもたしてたわけじゃないのに、ゆうに40分歩いて、やっと道はハジッコに。
ユーコン川着いた。
こりゃ、私にはこの道のりを真っ暗闇の中歩くの無理だわ。
クマ対策の護身術もないし。
ロケハンは完了。
来た道を戻ろうと思ったらこんな看板を発見。
どうやら、この脇道をいくと先住民の優先地域らしく、立ち入るべからずとのこと。
ドーソンシティもゴールドラッシュでずいぶん先住民を追い出してしまった歴史がある。
やはりカナダは移民の国なのだ。
また、足元にはこんな植物も。
「なんだと思います?」
ハーブの「セージ」ですって!
もちろん野生。
乾燥セージしか嗅いだことがなくて、ちょっと苦手だったんだけど、生のセージはえぐみがなく、爽やかな香りだった。
さて、やっとロッジへ。
一棟一棟個性があり、私たちのロッジは一軒家のようだった。
リビングとダイニング、フルサイズのキッチンにベッドルームは2つ、それにユニットバスが1つ。
「ロッジ」というとコテージのようなものを想像していたけれど、こんなに大きな窓や広いポーチのある家なら一週間くらいは滞在したいわ。
で、夕飯を頂くため、オーナーさんたちが暮らす建物へ。
入口では夕食のお肉がBBQされていて、良い香り!
カナダでは火を使い、屋外でBBQすることが一種の「歓迎」のスタイルらしい。
ビュッフェ形式で用意された食事が並ぶ。
どれもこれも美味しくて、お腹がいっぱいになるのが、悔しい!
デザートはクッキーフレークのルバーブジャムとバニラアイス添え。
お腹いっぱいでも、スッキリと美味しかった。
外に出るとまさにマジックアワー。
連日の疲れも忘れて、みんなではしゃいでしまった。
今夜のオーロラハントはどうしようか。
疲れてしまっていて、本当に眠かったんだけれど、眠ってしまうのももったいない。
今日は団体行動する必要がないので、各々行動することに。
ジェットさんとフレッシュさん、小原さんはユーコン川へ。
私と山下さん、平田さんと安藤さんは自分たちのロッジで空を見上げることにして、オーロラ鑑賞施設は使わないことにした。
とっぷりと日が暮れた頃、安藤さんが我々のロッジを尋ねてくれた。
「せっかくですから、一緒にお茶でも飲みませんか」
小さな明かりを頼りに、こんな暗闇は富士登山以来だぞってくらい真っ暗な夜道を3人で歩き、なんとか平田さんのまつロッジに到着。
平田さん、安藤さんが泊まるロッジは2階建ての三角屋根が可愛い、秘密基地みたいな建物だった。
酔っぱらった安藤さんが、慣れない手つきでコーヒーを淹れてくれたりして。
秘密基地みたいなDIY感あるロッジだけど、キッチンはIHと最新設備。
お茶をして、なんだか初めてのゆっくりした時間。
「やっぱり、焚き火してみたいなぁ」
つい無責任に口にした言葉だった。
だけど、みんなのってくれて、ダメモトでオーナーさんにお願いしに行こうと出かけることに。
暗闇の中を、今度は4人で歩く。
夜分遅くにも関わらず、スキンヘッドがカッコイイオーナーさんはキャンプファイヤーを快諾。
時計を見ていなかったけど、きっと夜中の1時すぎだったろうに感謝しかない。
先に行っててと言われ、あのオーロラ施設の方へ向うと、人影が。
もしかして、ほかのお客さん?
「あ、コヤナギさん!」
そこにいたのは小原さんと、トモさんやユーコン準州観光局のジェシカさんら。
「今日はオーロラ弱そうだったから、こっち来ちゃった」と小原さんは言い、オーロラ鑑賞施設に入る。
風が防げるだけでもとっても暖かい。
だけど、キャンプファイヤーがしたいのだ!
オーナーさんが豪快に火をくべて、偶然みんなで焚き火を囲むことができた。
ジェットさんやフレッシュさんは、良い写真撮れてるかな。
この火に気がついて、来ないかな。
私には「細かすぎて伝わらない夢」は結構沢山あるんだけど、その中の一つに「キャンプファイヤーでマシュマロを焼く」があったんだけど、なんとここで叶ってしまった。
おまけに憧れのスペシャルデザートも!
グラハムクッキーにチョコレートと焼きたてマシュマロを挟んだ「サモア」。
語源は「もっとちょうだい(some more)」、それほど、あと引く美味しさということ。
しかもその名前に偽りなし!
表面はカリカリになった温かいマシュマロの熱で、チョコレートもとろーり。
独特の舌触りのグラハムクッキーと相性抜群で、思わず「サムモア!」とおねだりした。
次第に焚き火の火は弱まり、夜も更け、寒くなり、焚き火は終了。
解散して真っ暗な道の中、肩を寄せ合い歩く帰り道も楽しかった。
ロッジに帰ることには疲れはピーク。
なんとかシャワーを浴びて、さぁ、寝支度……と窓の外を見ると、真っ暗闇のはずなのにライトが見える。
バイク?
いや、手持ちライトだ。
どうやらファンキーさんのよう、こんな夜中に何かあったんだろうか。
私に気がついたファンキーさんがこちらへ近づいてくる。
玄関を開けるとこう言った。
「コヤナギさん、これからホームパーティするんだけど、来ない?」
ここへ来る前、スーパーで無責任に買い集められた食材はジェットさん・フレッシュさんのロッジに置かれていた。
それを今、調理しているらしい。
偶然あの光を見つけなければ、来なかった誘い。……おもしろい!
山下さんも誘って行くことにした。
フレッシュさんは「これから安藤さんのところに醤油借りてくるわ」と夜道へ消えていった。
カナダの、大自然で、真夜中に、醤油を借りにいく……。おもしろすぎる。
ジェットさんはひとりで料理と格闘中。
「あいつ(フレッシュさん)さー、いきなり麺の調理間違えてんだよ」
そこへ寝間着姿の安藤さんを連れてフレッシュさんが帰ってきた。
「料理しようと思ったらさー、いきなり間違えてさー、やべーと思って、共同責任ねっていって、ジェットさんに任せたw」
立派なキッチンはあるけれど、調味料などは一切ない。
冷凍シーフードを鍋に入れると、あたりに良い香りが広がった。
「……においだけは良いな」
リビングが半地下になったジェットさん・フレッシュさんのロッジ。
私はソファで男たちのキッチンスタジアムの格闘を楽しんでいる。
出来た料理は2種類。
中華ヌードル?と、ポンズの代わりにレモネードを使った湯豆腐。
フレッシュさんが爆笑する。
「やばいわー、こんな急なパーティ生まれて初めてだわ。だって15分前は料理しようとも思ってなかったもん」
ロッジ前のテラスで、昨日より南下したとはいえ極北の地で、熊野出現の危険性のある森の中、真夜中にパーティ!
酔っぱらった安藤さんが凄くたくさん若干の芯の残るヌードルを食べ(確かに味付けは美味しかった)、意外と好評だったのが湯豆腐だ。
フレッシュさん曰く「新しい!」
初めましてから今日まで、6日間過ごしてきた日々を思い起こす。
一週間も経っていないのに、濃厚な毎日の中、初日が遠いむかしのようだった。
「やー、安藤さんがこんなに面白い人だとは思わなかったわー」
「もっと神経質で、堅い人かと思ってましたよ」
え? いつまで?
「安藤さんがよく着替えてた頃まで」
たった6日の付き合いでも、ちゃんと“内輪の笑い”が出来た。
誰も時計を確認しなかったけれど、時刻は4時近かったんじゃないかと思う。
明日の集合は6時なのだ。
この度も、明日で実質最終日。
最後の最後に、力を振り絞って楽しんだような夜だった。
ありものの食材を使って、ポンズの代わりにレモネードを醤油で割ってつくった「新しい湯豆腐」は、本当に本当に美味しかった。
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この日のオーロラハンターたちのブログ。
カナダでオーロラハント Day6 ホワイトホースに戻る | PHUNKYPHRESHPOST
ユーコンで堪能した、カナダの秋オーロラ | トロントで暮らす
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オーロラハンターたち
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・写真家の平田誠さん(ブログ)
・プロデューサーの山下由妃子さん
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・ユーコン準州ガイドでフォトグラファーの上村知弘さん(サイト|ブログ)
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