チェコ旅3日目は丸一日プラハ!
「チェコってどこのあるの?」って人でも「プラハ」って名前は聞いたことがあるでしょ。なんか音的にオーストリアっぽいよね。(偏見?)そうそう、「 UNESCO World Heritage [世界遺産] 」なプラハにはたくさんの呼び名があるって知っている? いわゆるリングネームみたいなやつ。今回はネタ的にいくつか紹介しちゃうよ。
中心部が世界遺産、まだまだある? プラハの別名!
百塔の街
教会などにある尖塔がたくさんあることから呼ばれる名前。ちなみに実際は100どころか420本ほどあるらしい。(どこで聞いたのか出典が思い出せないので噂話程度に思っておいて)
建築博物館
戦火の影響を比較的受けなかったプラハの街には、まるで博物館のように古い建物がたくさん残っているため、この名がついた。ちなみに、プラハに落ちた爆弾の数は2つ。それもどちらも誤爆だったそうだ。
黄金のプラハ
中世にその街並みの美しさが称えられたほか、プラハ城の使用人が暮らす城下町(黄金小路)では錬金術が研究されたこといちなむものと考えられる。
ヨーロッパの心(へそ)
ヨーロッパ全体を俯瞰で眺めたとき、中心に位置するのがなんとプラハ。そのため、ヨーロッパのへそなどと呼ばれるほか、歴史的にも政治や経済、宗教の面でヨーロッパ全体に影響を与えてきたためそう呼ばれるようになった。
北のローマ
カレル4世が神聖ローマ皇帝に就任していたこともあり、都の華やかさを讃えた呼び名。
プラハの中心部は「プラハ歴史地区」として世界遺産に登録されている。他にも音楽の町、世界一周した人が最も美しかったと答える町、欧州の心臓、母なる町、神秘のプラハなど、もう賛美が鳴り止まない! 昨日プラハに到着したときは真っ暗な中だったから、今日はプラハの美しさをめいっぱい堪能させてもらうこととしよう。そう、最初に目指すのはやっぱりあそこ、でしょ!
何はなくともプラハ城 Prague Castle
どこからでも見えるプラハのランドマーク。ぐるりと大きな城壁に囲まれて、2本の尖塔が印象的だが、実はこの尖塔は城ではなく教会のもの。城壁そのものがいくつかの宮殿を併設した城で、一部は現在も大統領府として使われている。ここまでチェコを旅していて日本人にはまったく出会わなかったのだけれど、プラハ城では日本人だらけ! 漏れ聞こえてくるガイドさんのお話はどこもためになるのでちょっとお得だ。
オススメ書籍「プラハを歩く
もしもあなたが理屈好きでプラハへ行く用事があり、建物ついてもっと知りたいと思ったらこの書籍「プラハを歩く」がオススメ。女性建築(それも本を献上したらプラハ城に呼ばれてしまうようなスゴい方!)が解説するプラハの町の歴史と建物の歴史は、プラハ城や町の建築を見るのにとても参考になった。
なぜヨーロッパに石造りの建物が発展したのか(人間が暮らすには木造が合ってるらしい)、どのような進化でゴシック建築が誕生したのか、そもそも重い石をどのように積み上げていったのかなど、建物を見ていて思い浮かぶ不思議に次々と答えを与えてくれる。簡単に知りたい人のために、コヤナギのにわか知識で簡略化した建物図鑑も再掲しておこう。
第二の中庭
最寄りのトラム停留所から降りて行くと、カレル庭園の横を通ってプラハ城へ行くことになる。夏場は庭園も美しいそうだが、冬季は締まっているので注意。第二の中庭からは大統領府が見える。ちなみに大統領府とは職務室のこと。
聖ヴィート大聖堂
プラハ城の中でいちばん目立つ高い建物。ヴァーツラフが東フランクの王から聖遺物「聖ヴィートの腕」を与えられたため建築された。さいしょは930年に円形のシンプルな形だったが増築を重ね14世紀には現在の形に。だから奥の円形部分はロマネスク建築が残っている。(よく見ると石のブロックが積み上がっている)もちろん、城内の教会なのだから、地下にはかつての国王の遺体が収められている。この足元に、現在のプラハを作り上げたカレル4世も、このプラハ城建設に着手しチェコが危機の時には復活して民族を救ってくれるとされているヴァーツラフ4世も、魔術に魅了され錬金術師たちのパトロンになっていたルドルフ2世も、眠っているのだ。見所はたくさんあるが、独断で3つに絞ってみた。
画家のムハ(ミュシャ)が手がけたステンドグラス
パリで一旗揚げた画家のムハ(ミュシャ)は晩年チェコに戻り、アイデンティティの探求のためプラハで活動していた。このステンドグラスはチェコに戻ってから手がけられたもの。パン屋さんのスポンサー付きだ。
聖ヤン・ネポムツキーの墓碑
一番奥にあるひときわ大きな像。当時王妃の教職者でたくさんの懺悔を聞いていた。その内容が気になった王に懺悔の内容を話すよう迫られたが口を割らず、ある日カレル橋から落とされ殺されてしまった。最後まで王妃の秘密をまとった女性の味方の聖人として今も大人気。像には2トンの銀が使われている。
聖ヴァーツラフ礼拝堂
見学ルートの最後の方にある小部屋で、暗くて見逃しそうなため要注意。聖遺物(つまり「聖ヴィートの腕」!)が保管されているとされる部屋で、この聖堂を最初に築いたヴァーツラフの生涯が壁画に描かれている。中央の像もヴァーツラフのゴシック像だ。この世に聖遺物にこんなに近づける場所あるんだろうか。
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黄金小路
城に使える人々が暮らしたとされる小さな城下町。現在は当時の暮らしぶりが分かるものが展示してあったり、お土産屋さんが軒を連ねている。建物にはナンバーがふられていて、22と書いてある家には小説家のフランツ・カフカの妹が暮らしており、下宿先が騒がしくて執筆の進まないカフカが、ここに通って仕事をしてたらしい。その建物一つ一つは小人でも住んでいたのってくらい小さくて、質素な暮らしがうかがえる。ただ、錬金術を完成させるために研究者がたくさん暮らしていたという伝説もあるみたいだから、小人が住んでいたって不思議じゃないかも。
イジー広場と第一の中庭
取材で駆け足だったため、中に入ることが出来なかったけれど、ピンクの建物が聖イジー教会だ。920年に完成した現存するもっとも古い教会だ。表面はバロック様式で華やかだが、土台はバロック様式なため壁の厚さが1mもあるらしい。行ける人はその目で確かめてきて……!
第一の広場から第二の広場に伸びる門は、もともと堀だったそうだが、18世紀末のマリアテレジアの代で大きく改修し、堀も埋め立ててしまったそうだ。また、第一の広場を出たところに「絶景すぎるスターバックス」があるのでインスタグラマーは立ち寄りたいところだろう。
ジンジャーブレッド作り体験 Gingerbread museum
我々が訪れたのは12月8日。クリスマス目前だったため、町はクリスマスツリーであふれている。チェコでクリスマスを祝う上で外せないのがこのジンジャーブレット作りとのことだ。ジンジャーやシナモンのスパイスを効かせたクッキーにアイシングで思い思いに彩る。できあがったクッキーは食べて良し、飾って良し。クッキーは甘さ控えめで、クッキーとスコーンの中間のようなさっくりとした食感だった。このジンジャーブレッドミュージアムがあるのはネルドヴァ通り。ここもかわいらしい建物のお土産物やさんが並ぶ観光地なのだ。
カレル橋でモルダウを唱い聖人にタッチ、旧市街広場へ
ネルドヴァ通りからカレル橋へは王道の観光ルートのようで、そこら中、浮かれた人でいっぱいだ。その分スリも多いので警戒心を持っていこう。合唱曲「モルダウ」の元ネタことチェコ語でヴルタヴァ川に架かっているのがカレル橋だ。「プラハ最古の美しい石橋」といわれている。橋幅は広く、両側の欄干に30体の聖人像が並んでいるため橋というより広場のような印象を持った。聖人について調べておくと、もっと見応えがあるが、マストで抑えておきたいのは2つ。王妃の秘密を守った聖ヤン・ネポムツキー像は、足元に2つのレリーフがある。右の「川に突き落とされるヤン」のパネルに願いを込めながら触ると叶うらしい。ちなみに、その秘密は口に出してはいけない。左の犬のレリーフに触れると、観光客はまたプラハに来れるらしい。どっちも何とぞ、よろしくお願いいたしますだよ。
もうひとつ、日本人としてみておきたいのはあのフランシスコザビエルの像。東洋に布教した功績を称えこちらで聖人になっている。その頭髪は我々が知っているものは違い、ちょっと若い。足元にはザビエルを支える、仁王像のようにたくましい東洋人の姿もあるのでチェックだ。
旧市街側の橋のたもとにはカレル大学があり、カレル4世の像がある。対岸のプラハ城がよく見えるのでいいフォトスポットだ。
そのままカレル橋を突き進み、旧市街を目指そう。正面に見える立派な建物がティーン教会だが、まずは左手の旧市庁舎に注目したい。そこには天文時計がある。上下2つに並んだ時計は、上が天動説で地球の周りを太陽と月が回って時刻を表し、下が1年かけて一周するカレンダーを示している。むかし、政治は教会が行うものだったため、時を告げるのも教会の鐘だった。街が発展し、地域の自治を住民が行うようになった。最初は主要人物の自宅がから始まり、手ざまになって近隣の家を買い取って増築し、今の姿になった。
時計は生活の営みに欠かせないもの、その時計が市庁舎に設置されたことで生活の主導権が市民に渡った証となったらしい。いい話だなぁと感動していたけれど、15世紀、この時計を作ったハヌシュは市民から賞賛を浴びたため議員から反感を買い、これを超える時計を作らないように目を潰されてしまったそうだ。視力を奪われたハヌシュはそれでも時計のメンテナンスを行ってきたが、その死と同時に時計は止まってしまったそうだ。今は修理され、電動装置で動いてるとのことだけど、ホント昔の人は怖いよ。
旧市庁街広場でもクリスマスマーケット開催中。大きなツリーのとなりにヤン・フス像があったけど、取り損ねたよね。。パリ通りの突き当たりのビルの屋上には大きなメトロノームが見える(しかも動いてる)。これは、昔スターリン像が建っていたところを壊して設置したとか。圧政の抑圧から解放された鼻歌みたいだね。
ブロガーと歩くフードツアーTaste of Prague food tour
プラハで活躍するフードブロガーたちが、オススメのお店を紹介しながらプラハを歩くフードツアー「Taste of Prague food tour」に参加! 町歩きをしながらネイバーフッドなプラハの食も楽しめるこのツアーは本当にオススメ。参加費はちょっと張るみたいだけど、絶対損はしないはず。今回連れて行ってもらったのはこんなルートだけど、プラハの食は激戦区みたいだから、きっとすぐに彼女たちのお気に入りは変わるはず。ぜひ自分の足で、彼女たちの口から「プラハの今」のおいしいお店を教えてもらって欲しい。
コーヒーの実を使ったドリンク
目にもおいしいオープンサンド
行列必須のお肉屋さんの加工肉
毎日3000ℓ消費する地元のホスポダ
看板のないワインバー
寄り道:止まらないエレベーター
行列必須の肉屋さんのホスポダ
いま注目のエリアではじまっている新しい食の解釈
国民劇場で子ども向けバレエ「くるみ割り人形」National Theatre
現在もオペラ、バレエ、演劇などが行われてるこの劇場は、チェコの人にとって特別な存在だ。18世紀ヨーロッパ全域でチェコの立場が揺らいでおり、劇場もドイツ語での上演のみでチェコ語で上演できる劇場がなかった。そこで、プラハを中心としたチェコ国民から募金を募り建設したのがこの国民劇場だ。
国民の募金で劇場ができあがったこともビックリだが、実は公開からわずか3ヶ月で火事で焼け落ちてしまう。これを見たチェコ国民は深く悲しんだが、すぐさま誰かがひとり「また立て直せばいい」といって帽子にお金を入れて回し始め、わずか47日で再建の目処が立ち、2年後にリオープンした。チェコ人の誇りが垣間見られる逸話で、この国民劇場はその結晶といっていい。
観劇の前にバックヤードツアーは普段上がれない国民劇場の屋上に上がれるなどの体験が出来る。わたしたちはクリスマス演目も子ども向けバレエ「くるみ割り人形」を観劇。ステージに食い入る子ども達の熱心なまなざしが印象的だった。
暮らすように過ごす Design & Music Hotel Mosaic House のペントハウス
この日泊まった宿はペントハウス型のもの。ツアーに参加した面々でシェアハウスしているような感覚で滞在でき、もしプラハで暮らしたらこんな感じがいいなと夢想できるすばらしい夜だった。ピルスナー・ウルケルの工場やビアスパでもらったビールを明けてリビングで宴会し、屋上テラスから見えるオレンジ色の屋根が並ぶ景色もすばらしかった。朝ごはんはパウチャー券がもらえるので、ホテルの1階でいただくことができる。
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エッセイ:取材で来ている身の程とありがたさ、居心地の良さ
今日は「答え合わせの旅」だ。
チェコに関する観光情報を探したとき、プラハのことしか出てこない。わたしにとってはプラハのこともさっぱり分からないから、チェコを知る手がかりにプラハのことをたくさん調べた。だからプラハだけは、見てみたいものがたくさんあった。やっと夜が明けて念願のプラハが見えてきてドキドキする。しかも最初はプラハ城だ。もう、バスの中から落ち着かない。
(なんでもない街並みもうかわいい)
ホテルの場所が分かっていなかったけれど、角を曲がったら見たかった建築が突然見えた。
ああ、「プラハのおてんば娘」……!
プラハに落ちた2つの爆撃地の1つでしばらく空き地だった場所に建った、珍しい現代建築だ。ガラスのドレスを思わせるビルが、四角いコンクリートのビルにしなだれかかっているようなデザイン。これが建築されたときは賛否両論だったが、「プラハを歩く」の著者が「建築はその時代を反映し、いつも旧時代から反感を買っていたものだから、これが現代らしい」と書いていたやつだ。
ぐんぐん進むバスの中で、依頼された取材で来ている身の程を思う。
プラハ城は「答え合わせ」目的の人がたくさんいた。もう世界中から来ているのだろうけれど、同じ言語だからか日本人の姿が目立つ。人混みには正直うんざりしてしまうが、本で読んだあれやこれの本物が目の前にあるのはやはり感動を呼ぶ。歴史的な建造物はうんちくを知ってこそ深く楽しめるものだと思うから、ガイドさんがいてくれる取材旅行は本当に頼もしい。取材で来れているありがたさに身が震える。
城について語りたい雑学は紹介記事の方に詰め込んだので、今回は軽く書こうと思う。毎回1万字書いていたのでは身が持たない。書籍化の話でも来てくれたらいいのに。
ジンジャークッキー作りは誰でも楽しめるレクリエーションだった。ただ、店内に置いてある販売用のものは明らかにクオリティが違う。細工の細かさもさることながら、ぜったいに絞り口もアイシングの柔らかさも違うと思う。いくら払えば同じ道具を使わせてもらえるのだ。イラストレーター向けに本気のアイシングも書かせて欲しかった。そしてお料理が好きな人は生地から作りたかったことだろう。そういうコースもあるんだろうか。
カラフルなネルドヴァ通りを歩いていたら、どんどん天気がよくなってきた。チェコに降り立った日、あんなに頼りなかった太陽はピカピカと我々を照らした。
あまりにまぶしくてアーケードに逃げ込む。すると道の先に石畳を直してる人がいた。
普通、地下工事などがあるとアスファルトを剥がして作業するが、石畳のチェコでは石を剥がして、また埋めれば終わるため工事が早いとか。綺麗な模様をもう一度組み直す方が大変なように思うけれど、アスファルトなら押しかためたり、コンクリートなら乾くのこを待たねばならず、これなら入れればおしまいだから確かに工期は短そうだ。
露天の数が増えてきて、なにか観光名所が近づいているんだな、と思った。
そうか、この先に行けばいよいよカレル橋だ。
カレル橋でやりたいことがあったのだ。そればスメタナの「モルダウ」を唱うこと! バカっぽいけれど、チェコ行きが決まったときから「やろう」と思っていた。ちなみに、わたしがモルダウを覚えたのは小学校の合唱部だったんだけど、モルダウの日本語歌詞はいくつかある。わたしのモルダウは歌い出しが「ボヘミアの川よ、モルダウよ〜」の平井多美子さん作詞のものだけど、「なつかしき河よ、モルダウの〜」の岩河三郎さん作詞のほうがシェア率が高いようだよ。
次の目的地まで、プラハの観光名所を歩いて通過する。
カレル大学、旧市庁舎、旧市庁街広場、ティーン教会……情報量が多すぎて、完全にキャパオーバー。歩いて過ぎ去るような場所じゃない。ひとつひとつ、1時間くらい滞在してかみしめたいような場所だ。後ろ髪引かれる思いで後にするとブロガーツアーが始まった。
チャキチャキで元気のよいアニチカさんがわたしたちを誘ってくれる。いかにもローカルという道を歩きながら、ガイドブックだけでは見逃してしまうような小さなお店に入っていく。ひとくちサイズにアレンジされた品々をいただく。ひとくちサイズはありがたいんだけど、それなりに食べればそれなりにお腹はふくれてしまう。最後にいったお店は、トラムに乗って移動した「いま注目のエリア」だそうだ。すっかり日が暮れてしまったから周りの様子は分からないけれど、きっと面白そうなお店やクリエイターがたくさん潜んでいるような臭いがする。明るいときに来てみたいな。
エシカでの食体験はすばらしいものだった。たった一つだけ残念だったのが、わたしがまったく空腹でなかったことだ。だってここに来るまでのお店も、全部おいしかったのだもの。でもエシカでの食事は伝統的でありながら挑戦的で、ここでしか味わえないような体験だった。
満腹で重くなったお腹を抱え、小走りで地下鉄に駆け込む。次の予定まで時間が押してしまっているのだ。バスで移動しては渋滞に巻き込まれてしまうかもしれない。地下鉄の入り口を見つけてエスカレーターに飛び乗ると、その速さに驚いた。早い、容赦ないな、このエスカレータ! 無人の改札でチケットをチェックする。ちょうど電車がやって来て、みんなで飛び乗った。なんとか間に合いそうだ。息を切らし汗までかいている。あれ、わたし、数時前まで寒さに緊張してなかったっけ。そういえば、ホッカイロを全然開けてない。
もしも東京だったら、自分には用がなさそうだと素通りしそうな、いかにも重厚で厳格な建物が目的地だった。ここが国民劇場だという。チェコ国民たちのアイデンティティでプライドの象徴だと聞いた。こんなに重厚な建物に自身を投影できる国民性に、チェコが今まで戦ってきたものの大きさと誇りを感じる。その思いは、中を見学してなお強まった。日本人も日本語を話すけれど、チェコ人のような気持ちでこの言語を選択してるわけではないと思う。少なくとも、わたしは生まれたときから英語圏だったらよかったのにと何度思ったことだろう。大切なものを知っているということは、本当にかっこいいものだ。
観劇したのはバレエ「くるみ割り人形」だったけれど、クリスマス用に子どもアレンジしたコミカルなものだった。どおりで子ども達が多いと思った。でも誰もムリヤリ連れてこられたような子はおらず、沈黙が必要なシリアスなシーンでは、みんなが前のめりでステージに釘付けになり、鮮やかな場面展開では大人のように奥ゆかしく拍手を送っていた。なんなのその所作かっこいい。演目も子ども向けにアレンジされいたから、言葉が分からなくてもコミカルで、ミュージカルのように親しみやすかった。何よりもチェコ国民劇場で、バレエを観劇できているだけ、感激なのだ。
終演後、解散となった。といっても土地勘もなく明日の予定も詰まっていたため、大人しくみんなで歩いて帰ることにした。その変わり、今日の宿はシェアハウスのようだから、リビングで飲もう、となった。バレエの迫力に高揚しながら、美しい風景の中を歩いているのが気持ちいい。
ヴルタヴァ川沿いを眺めながら歩いてるだけで、少し気を緩めたら、泣いてしまうんじゃないかというくらい、なにか迫るものがあった。美しさは言語化をすっ飛ばして感動中枢を揺さぶってくるから、本当に油断ならないのだ。
宿についてまずはお風呂に入った。今日は天気もよくて、たくさん汗をかいた。
リビングではもう酒盛りがはじまっている。わたしも早く参加した。名前入りのジョッキを持って、ナーストラヴィーといいながら加わろう。一緒に旅するブロガーたちとは不思議な連帯感が生まれていた。ハードで情報量の多いこの国の良さを、余すところなく味わい尽くそう、そういう気迫がある。それぞれの強みと持ち味を持って、チェコを掴もうと目を光らせている。それがなんとも居心地よかった。
そうそう、ビールブロガーのタカバシさんが珍客を連れてきた。3年間無帰国で世界一周をしてるというバックパッカーの青年だ。青いブルゾンを着ていたので気軽に「青くん」と呼んだ。Twitterをフォローして、その日は早々においとましてしまったんだけど、帰国後に青くんのTwitterをチェックしてみたら、わたしは彼の記事をいくつか読んだことがあった。先日買った書籍に「世界遺産最強ナビ」にかなりの数寄稿している人だった。妙な縁を感じつつ、青くんこと三矢英人さんはいまも地球のどこかから頻繁にTweetしている。
Special Thanks:チェコ共和国観光局、Linkトラベラーズ
“冬こそチェコへ行こう”リスト
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