リスボンの中心部から車で30分ほど。テージョ川の河口に2つでひとつの世界遺産がある。ジェロニモス修道院とベレンの塔だ。15世紀、大航海時代にポルトガルが世界で名を馳せていた頃を象徴する歴史的建造物として知られている。
今回はジェロニモス修道院の中にある、サンタ・マリア教会を中心に紹介したい。
贅を尽くした「マヌエル様式」
ここの見どころはなんといっても、過剰と思えるほど豪華な彫刻が印象的な「マヌエル様式」の建築美だ。外観、内観のあらゆるところに細に入り飾り立てる。これは海路を切り拓いたエンリケ航海王時と、インド航路を発見し貿易で莫大な富をもたらしたヴァスコ・ダ・ガマを讃え、マヌエル1世が作らせたもので、着工から完成まで一世紀を要したという。特に南門は圧巻だろう。
本来は「マヌエル様式の宝石」と呼ばれる修道院が観光のメインになるのだけれど、このときは時間がなくサンタ・マリア教会だけを見学した。
ヴァスコ・ダ・ガマも眠るサンタ・マリア教会
ジェロニモス修道院の西門をくぐってすぐ右の扉を入ると、そこはサンタ・マリア教会だ。さっきの南門もこの教会に通じている。いつもなら観光客でごった返しているというが、内部が補修中だったためか、観光客が少なめで、わたしにはそれが過ごしよかった。
絶対王政を築いたタナボタ王・マヌエル1世
サンタ・マリア教会の一番奥にある祭壇、左隣に、王妃の棺とモニュメントが置いてある。マヌエル1世だ。
マヌエル1世は「マヌエル様式」を命じ、数々の歴史的建造物を作った王ではあるけれど、優秀だったのかというとそうでもないらしい。先王の海外進出事業を引き継ぎ、運良く栄華を極めたといわれている。それはきっと、生前にも噂されていたことだろう。だからこそ、その富を残したかったのか。棺には黄金の太陽が刻まれ、世界を手にしたといわんばかりだ。
ヴァスコ・ダ・ガマの棺
歴史に詳しくなくても、ヴァスコ・ダ・ガマの名前はだいたいの人が知っている。ヨーロッパにコショウを輸入して、富を築いた偉人。ポルトガルを旅していると、「ヴァスコ・ダ・ガマ」を冠するショッピングセンターや商業施設がいくつもあり、ポルトガルにとってもアイコニックな存在だ。
ただ、こっちの記事でも書いたように1755年のリスボン大地震で宮殿にあったほとんどの書物が喪失したため、ヴァスコ・ダ・ガマに関することはほとんど残っていない。ジェロニモス修道院が着工したのは1502年。マグニチュード9といわれるリスボン大地震と11メートルといわれた津波で残ったのは、こことベレンの塔くらいだったらしい。これは彼の姿を記した貴重な遺物なのだ。
アジア航路の懺悔室
サンタ・マリア教会に入ってすぐ左に、いくつもの茶色い扉がある。懺悔室だ。胸に抱えきれない思いを神父に告白し、神の許しを請うところ。その中にひとつだけ、いくつもの“平たい顔”のモニュメントが並ぶ扉があった。
これは、インド航路を通ってアジアで犯してきた罪を告白する懺悔室だという。大航海時代は人間さえも商材だった。奴隷貿易だ。肌の色が違う異国人は同等の人間ではないとして、人さらいして船に乗せる。貿易船の一番下にぎゅうぎゅう詰めにされた。その対象は、日本人だって含まれた。
「当たり前」や「常識」は、時代によって大きく変わる。それは過去の過ちだけではなく、今の正義だって、何の上に成り立っているのか気がついて、恥ずかしくなってしまうかも知れない。
歴史は覆らないし、やって来たことは変わらない。だけど、少なくとも知ることをやめないで、そして未来に次ぐことが唯一の手立てかも知れない。大災害を生き残った世界遺産のジェローニモス修道院が、静かにそう、語りかけているようだった。
SpecialThanks -obrigada!(オブリガーダ)-
この旅は2019年10月28日に就航した、アシアナ航空のソウル⇄リスボン直行便に乗って、ポルトガル観光局が主催するメディアツアーに参加したものです。
ソウル・リスボン間の航空券は往復およそ10万円程度。今まで一番、時間もお金も節約できるルートだと思う。残念ながら2020年11月現在はこの航路は休止中だけど、時間が経ってもポルトガルの魅力は変わらないから、きっと復活すると思っていますし、願っています。
&TRAVEL寄稿記事
朝日新聞デジタルマガジン&[and]が展開する旅メディア「&TRAVEL(アンド・トラベル)」に、ポルトガル記事を4本寄稿できたので、良かったら合わせてご覧ください。