寝坊して遅れて席に付いた私の耳に飛び込んで来たのはこんな言葉だった。
朝8時、カナダ・オーロラハントの旅も4日目を迎え、日中の観光・視察スケジュールと夜中のオーロラハントとで、みんな体力も消耗してきた頃、小原さんは元気だった。
100年前、ゴールドラッシュで湧いた極北の街「ドーソンシティ」での宿「トリプルJホテル」の朝食メニューに「JJJ」の文字を見つけたのだ。
ゴールドラッシュについてはこの間少し書いたけれど、では「金」ってどうやってとれるのだろう。穴を掘り進んでいけば? ルーペで石の間を覗いてい見る? いいや、金が見つかったのは「クロンダイク川」だった。
そこで「ドールドパニング(金浚い)」を行うのだ。
え? でも全部手作業で?
今も金採掘を行うゴールドボトムミニングへお邪魔した。
ドーソンシティから車で3.40分。
山の中に分け入っていくと、次第に不自然に整地された土地が見えてくる。
木々は苅られ、整地されているようだけれど、何も立てられる様子のない土地がいくつもいくつも連なる。そうか、これが金採掘のあとなのだ。
あいにくの雨模様の中、戦隊ものの撮影で爆破でも行いそうな開けた場所に到着。車を降りる。
迎えてくれたのはまだあどけなさの残る若い青年。今も金採掘を行っている「ゴールドボトムミンング」の案内役であり、一家の息子さんだ。
やたらと元気のいい犬が、説明を遮る。ゆるい。
いくつものテントと古い家が建っていて、最初にその古い家の中へ案内された。こう言ってはなんだけど、2階の窓は破られているし、廃墟かと思った。
館内には当時の金採掘に必要な計りなどの道具が展示されており、説明が始まる。
彼の一家は1974年からここで金採掘を始め、ゴールドラッシュは下火とは言われていたものの、最初にやってきた彼のおじいさんの時代は、最高で1日1600万円程の金が掘れそうだ。
しかしおじいさんは大変な浪費家で、それはすべて世界旅行などに使い果たしてしまい、一切お金を残さなかったそうだ。
採掘場を所有する条件はたった2つ。
18才以上であること、年10ドル払えること。それだけ。
カナダ国籍を持たない外国人でもOKだそうだ。
名前、広さ、日付けを明記し、採掘場の所有を示す「杭」を2箇所に打つそうだが、それの申請費が毎年10ドルかかる。
……と、まるで誰でも金採掘を始められそうだが、そんなわけはない。
まず、この土地は暮らすためでなく「金採掘」を行うための場所なので、「金を掘っていますよ」という証拠に、土地を掘り返す最低量が決まっているらしい。
ただ、彼の家族は75区画の採掘地を持っているが、「土を動かした証明」は1区画だけ行っていれば良いらしい。
また、本来ここに家を建てることは出来ないそうだ。
「この家を建てるのに、政府にいくら払ったのかは、知らないけれど」
と案内の青年は言った。
また、金は川の周りしか採れず、そもそも空いている土地はない。
土地はすでに所有している人物から譲り受けるほかないが、言い値だという。
金の価格はティースプーン1杯でおよそ400ドル(日本円で4万円弱)だが、極北の地であるドーソンシティの地中には「永久凍土」が眠っており、しばしばマンモスの遺跡が採掘されるそうだ。ちなみに、マンモスの牙は1本150万円程度で売れるらしい。
本来は考古学の資料としてガラスケースに入れておかないといけないんだけどね、と青年は笑いながら、丸太のように床で転がる牙を目で指した。
そして、いよいよ金採掘の方法だ。
原理は至って簡単。「金は重い」それに尽きる。
砂や石より重いので、水の力を借りて上澄みどかし、より重い金を洗い出していくだけだ。
「このあたりはもう大きな金塊は採れないから、石ころは調べずに全て捨てる。だから、昔観光客のイギリス人女性が、こう言うところで選り分けられた石の山をめくって、大きな金塊を発見し、何百万円を手にしたという話があるよ」
しかし金採掘を生業としている彼らは、そんな博打のような金探しは行わず、地道に「必ず見つけられる砂金」を集めている。
まずは山を切り出し出てきた土を、ショベルカーで大きなドラム缶に入れる。
ドラム缶は回転しており、水の力追い出される。大きな石を取り除くのだ。
ドラム缶の目から落ちると、下には水はけのよい鱗状の網があり、比重の軽い砂は水の力でまた押し出される。
網に残った砂利を採取し、今度は傾斜の着いた流しへ。途中、足拭きのような網があり、より「重くて細かい」金はこの網でキャッチし、あとは洗い流す。
残ったより細かい砂利を、乾かして更に目の粗さ違いのざるへ。一番細かい砂の中へ磁石をつっこみ砂鉄を除去。残った砂を今度は渦状の機械に掛けて水圧で砂を落とし、やっと砂金採集、というわけ。
いろいろやっているようだけど、中身はシンプル。
「金より軽い石を、水で取り除く」それだけ。
採取された砂鉄は日にかけて金塊にし、現金に変換する。その際、金塊の一部を証拠として保管しておき、後日純度でいちゃもんが付いた時の証拠にするのだそうだ。なるほどね~。
そしていよいよ、我々ももっともミニマムな金浚い体験をすることになった。
かつてクロンダイク川で金を発見したロバート・ヘンダーソンと同じように「パン」と呼ばれる皿を手に持って、川の水で砂をどかすのだ。
用意してある長靴に履き替えて、小雨の中、素手でパンをもち、土を分けてもらうために並ぶ。
なんだろう、この、アトラクションのはずなのに漂う「罰ゲーム感」は。
配給の土をパンで受け取ると、当たり前だがずっしり重い。金が含まれているかも、というワクワク感が広がった、とか書きたいところだが、あいにくの天気のせいで気温も下がっているようだ。川の中に入っていくと、長靴越しからでも水の冷たさを感じる。対して素手だ。この素手で土のかたまりと一緒に冷水に付けようというのだから気が進まないことを許して欲しい。
パンには平らな底から傾斜がついている。
45度の角度で水に着け、サッサッサッと3回上下に洗い、4回目に引き揚げてそのままの角度で上澄みの石を洗い出していく。
そう、手でやっても基本は同じなのだ。「金より軽い石を、水で取り除く」だ。
それさえ分ければ「こなす」気持ちで作業に挑む。水はやっぱり冷たいが、「ギャー」と悲鳴を上げたのは最初の1度で済んだ。始めは要領の分らなかった金浚いだが、何度も腰を屈めて身体を上下していると、だんだんパンの中の状況が分ってきた。今の衝撃は意味があったな、これは流しすぎだな、など。
洗練して洗い出しているはずなのに、何か育てているような気持ちになり、気がつけばパンの中はほんの少しの砂になった。この中に金があるのか。もはや金があるかどうかはどうでもいい。ここまで細かい砂を残せたと言うことに意味がある。そんな気持ちでいっぱいだった。
パンを青年に渡すと、もう2.3回洗い出し「あったよ」と言って指差した。
そこには吹いたら飛びそうな、言われなければ分らない小さなくずのような砂金の姿が。ちょっと比重のある色の違う石だ。たったそれだけの違いなのに、嬉しいのは、ゴールドラッシュの話を聞いたからだろう。
水の含まれた小さなケースに砂金を入れてもらった。正直、ケースの水に含まれた不純物の方が砂金より大きいけれど、かつての英華のかけらを分けてもらったみたいで誇らしい気持ちになった。
犬のテンションも上がっており、ジェットさんがやたらと安藤さんに犬をけしかけていた。
車の中でピクニックランチ(サンドイッチとクッキーとリンゴとオレンジ!)を頂き、次ぎに来たのは「ドレッチ ナンバー4」と呼ばれる大型機械仕掛けの金掘削機=ドレッジ(浚渫機【シュンセツキ】)。
説明に現れたサンタクロースのおじさんを見て、フレッシュさんが「あ、あれ。シナモンロールを作るほかにこんなバイトをしてるんだ」と言ったので吹いてしまった。
一見巨大な船のような外観だが、聞けば行っていることはさっきの金採掘場と全く同じ!
土を掘り返して筒状のドラムで洗い、更に鱗状の柵で濾して、足拭きのようなネットの代わりに当時は藁で濾して、磁石で砂鉄を取り除き、金を集める。
それをとんでもない規模で行い、掘り尽くしたらこの機械に取り付けられた巨大な杭を抜き、前進するんだそうだ。
このとんでもない機械を発案したのはジョー・ボイルという青年。
クロンダイク・ゴールドラッシュ時代には「100万人が金を求めて旅立ち、3-4万人しか辿り着かない」険しい道を行き、それでも実際の金採掘場の仕事に付けたのは4000人で、実際の金持ちになれたのは1000人程度だったそうだ。
1896年に始まったクロンダイク(ドーソンシティ)・ゴールドラッシュは大きな金塊の出土より、砂金集めが中心に。とにかく人手が必要でそこに目を付けたのがイギリスからやってきたジョー・ボイルだったそうだ。
まず、このとんでもない機械「ドレッチ」の構想をユダヤ人の資産家に持ちかけ、資金を調達。ジョンはあくまで自分がドレッチのオーナーで、資産家たちは出資者として配当金を分けることとし、最初のドレッチを作り上げたのは1898年のこと。しかし、大規模な土地所有は企業にしか許されていなかったため、なんとジョーはカナダ政府に交渉(スゲェ!)。無事土地を獲得したジョーは1906年には「ユーコン・ゴールド」という会社を作り、ドレッジを最大9機作り、その動力はなんと電気。北米ではシカゴの次に電気が来たとのことで、水力発電で電力を得るためダムを造り、冬場も稼働するドレッジの就業人数はなんとたったの4名。このドレッジは1000人前の仕事をすると言われていたのに凄いことだ。
そこで働いている4人の職業を給料はこんな感じ。
(メモ間違えてたらゴメン。結構あやふや)
・バウデッカー 掘削してる状況を見守る役 日給4ドル
・スタンデッカー ドラム缶のベルトコンベアを見張る役 日給4ドル
・オイラー 機械の油を注す役 日給6ドル
・スタンデッカー2 ドレッジを動かす時の運転手 日給8ドル
意外と安い! と思うけれど、まぁ金のおこぼれもあっただろうし、バウデッカーは採掘の途中に出てくるマンモスの牙や骨をもらって良かったらしく、ちょくちょく小遣いを稼げたそう。ちなみに、マンモスが掘り起こされると「とんでもない異臭」がしたそうだ。時空を声た腐臭……オェ~!
また、機械仕掛けのドレッジの騒音は酷く、14.5Km離れたドーソンシティにもその轟音は届いていたそうな。
ドレッチの所有権を他社に売り渡し、1940年ドレッチNo4は新たな位置へ再配置して操業。しかし人件費がかさんだ上に金の価値も変動してしまったため1966年には操業終了。そのまま打ち捨てられていたところを1970年カナダ国立公園が取得。再整備を行い1997年カナダの史跡として公開されたそうです。
で、おどろいたのはそのアナザーストーリー!
一躍実業家となり「クロンダイク・ジョー・ボイル」と呼ばれた発案者の彼だけれど、1912年にはドレッジをCKM社に売り抜けて、スパイ(!)に転身。危険な任務に身を寄せながら、とある国の王女と恋仲になり、その生涯を閉じた後も彼の命日には身分を隠した女王が訪れると……なんという007!
とんでもない話だから、きっとネットのどこかに詳細が落ちてるだろうと思い、くわしくメモを取らなかったのだけれど、全然ない。
ジョー・ボイルの伝説を聞いているだけで、一本の映画見たような充実感があった。ああ、ちゃんとメモっておけば良かった。
そして、その伝説の始まりである「ドレッジNo4」も、ドラマティックな話を聞いた後のせいか、そこかしこに静かな躍動感を感じて、廃墟好きには溜まらない追憶の香りに胸が躍りました。
まぁどこを撮っても絵になるので、チームカメラマンは撮り甲斐のあったことでしょう。
これまでの疲れと寒さもあり、バスに戻ると何とも言えない疲労感が身体を襲う。雨は激しくはならないけれど、しとしとと降り続いてる。
注意力も散漫になり、一旦ホテルに戻って集合時間を聞いたつもりが、間違えて一時間ほど早く集まってしまった。
幸いなことに、間違えたのは私だけではなくて、ジェットさんもいる。
もう一度部屋に戻るのもなんだし、雨も少し上がったのでドーソンシティを散歩してみることにした。
考えてみたらまだこの街を見て回ったことがない。
なんとなく、ユーコン川に向って歩き、カラフルな可愛らしい建物を追ってみた。
雨のせいで舗装されていない道路はぐしょぐしょだが、水はけは不思議とよい気がする。木の歩道が快適だ。
基本的に建物は木造なのだけれど、その古さ、歪みっぷりは個性的。
気になったのはカートゥーンの用に歪んだ「スアンドアロー教会」でどうやら1901年築。もっとも強い感想としては「危ない」だ。
別荘地のような可愛らしい家々を眺め、時間になり、夕食へ。
しかし、集合時間になっても山下さんが現れない。
部屋に内線をしても、ドアを叩いても一向に返事がない。
きっと疲れて眠ってしまっている、それ以外疑いようのないくらい、我々も疲れていた。
今夜のレストランはギリシャ料理。
ラム肉のプレートをいただく。凄い量だが……慣れてしまってぺろりと平らげた。
この時、ジェットさんにも不調の兆候が。
食事の後、「ユーコン名物」と謳われたカクテルを頂くため、素敵なクラシックホテルに併設されたバーへ行く。
仮死状態だった山下さんもなんとか合流。
山下さん「すいません、自分が信じられません。今までで始めてですよ、ドアを叩かれて起きなかったなんて!」
世界を駆け巡りハードな旅を経験している山下さんも、そんなに疲れているなんて。私の今朝の寝坊も正当化できそうでなぜか嬉しい。
入口には西部劇で見たあの「カランカラン」があり、高級でありながらなんとも荒れくれた雰囲気。
店内は豪華なバーカウンターとブール(ビリヤード台)もあり、その奥にテンガロハットをかぶった味わい深いおじいちゃんが、意味有りげなケースを手に座っていた。
名物と言うのは「サワートゥーカクテル」
サワーは酢漬け、トゥーは足先。凍傷で採れてしまった足の親指を、お酒に入れて飲んだ度胸試しが発端で、指の保管に当時酢漬け(サワー)にしていたんだろう、とのこと。
そういえば、ここに来る数日前に丁度「足の親指を飲んで罰金」というニュースを見た。ここはまさにそこの現場だ。
テンガロハットのおじいは仰々しくケースを開け、シルバーのトレイの上に白い砂状のものと一緒にどす黒く変色したソレを置いた。
「ああ。遺書によって提供された匿名の男性の足の指さ」
遺書で提供するなんて……どんな思い入れとモチベーションなの!
お酒は「ユーコンジャック」というはちみつの入ったアルコール度数40度のお酒でいただく。アルコール度数は40度以上でないと消毒効果がないため、法で禁止されているのだそうだ。全部禁止して。
「最初は誰がやる?」
全員が全力で引いているなか、その沈黙を破ったのは安藤さんだった。
おじいは分厚いノートを開き、そこに安藤さんの前を記す。そして黄色い賞状にはこれに挑んだ人数と安藤さんの名前を書き入れて、何かの呪文や伝説を口伝するように仰々しく読んで見せた。
その間、終始苦笑いを浮かべている安藤さん。
おじいが「指を唇に付けなければならない」と言い終わり、さぁ飲めと手を煽る。安藤さんは相変わらず苦笑いを浮かべたまま、一瞬のためらいを見せてグラスを手にとり、微笑んで見せた。
その後はあっさり、ぐいっと飲み干し、カランコロンと指が安藤さんへ転がり落ちると、一瞬身じろぎはしたが、落ち着いてグラスをテーブルに置く。
その後、フレッシュさん、平田さんと続き、次はジェットさんの番じゃない?という空気に。
しかしここまで来てやらない、という選択肢はなく、お酒を含まずにグラスを煽って指にキスする、というカタチで参加することになった。お、それなら下戸の私でもできる。
というわけで、比較的ゲテモノが平気な私も賞状欲しさにサワートゥーにキス!
唇から伝わる感触はラムレーズンそのもので、煽って触れるよりグラスにもって口を付けるまでがしんどかった。グラスから伝い感じた少量の「ユーコンジャック」は度数が強いながらも、コクのあるはちみつ味がおいしいなと思った。
ホテルに戻る頃には、雨は上がっていた。
雲は多そうだけれど、今夜のオーロラはどうだろう。
トモさん「オーロラ予報は4。天気さえ持ちこたえればなんとか……」
昨日見た雲越しのオーロラ爆発を思い出す。あれは悔しかった。
結局、オーロラハントに来て4日目だと言うのに、私はまともなオーロラに出会えていない。どうしよう、あんなに「カナダでオーロラハント!」って煽ってきたのに、「見られませんでした~」なんてアリだろうか。
20時ころホテルに戻り、1時間ほど仮眠して22時にオーロラ観測のために集合。
昨日の寒さを思い、あらかじめ着込む。服でもモコモコと動きにくいが、オーロラが出るまで待つ間はほとんど動かない。いや、出ても動かないよね。動きやすさより、防寒が大切だ。ロボットみたいな歩き方で部屋を出て、ホテルのドアを開けると土砂降りだった。
部屋からは、全然気がつかなかった。
一応、集合場所に集まる。
みんなの落胆した顔が見える。
考えたくない最悪の事態を口にされて、ぴくりとする。思ってはいるけれど、口にしないで。
小原さんはプロのカメラマンだ。私は、体験を記事に活かせれば良いけれど、小原さんは撮れなければ意味がないのだ。
土砂降りは弱まる気配はなく、今日のオーロラハントは中止。
各々部屋に戻るが、オーロラが見えない落胆と、今夜は寝れるという安堵とで複雑な表情だった。
部屋に戻り、厚着を脱ぐ。
私はこの旅を延長することは出来ない。
もし、オーロラが見れなかったら何を書けば良いんだろう。
ともに旅をしているみんなの横顔が浮かぶ。
みんな、それぞれにきっと葛藤している。
それと一緒に居られることが今は嬉しい。
結末を最初から考えちゃダメだ。
今あることをしっかり感じて、感じたことを、書けば良い。
けれど、身体は疲れきっているはずなのに、なかなか眠りにつけなかった。
マンモスの骨たち。手前は牙。右手前の赤いヒモが付いたものが、区画を表す杭。
大きさが伝わらないかもだけど、これが最初の金さらいマシーン。かなり大きい。
ドラム式部分で大きな石が詰まってしまい、お父さんは手作業でどかしているところ。
ドラム缶の下は水だけだけど、ここも水圧で砂や石を落としてる。
この採掘場でとれた、もっとも大きな金。純度はあまり高くないらしく2万円ほどとのこと。
「ゴールドパン」という金さらいようの皿と山下さん。Photo by 安藤さん
「夏ユーコン」ということでなるべく足を出すわたくし。Photo by 安藤さん
こんな感じの角度で傾けて、石や砂を流します。Photo by 安藤さん
更に残った金を眺める我々……。奥から平田さん、小原さん、私。Photo by 安藤さん
ジェットさん=タフ、のイメージがあったのにぐったりしていたので撮ってみた。
たぶんシナモンロールは作っていないおじさんと、ドレッジ#4。
ドレッジ#4の杭を動かす動力部分。昔の機械は修理しないので壊れないものを作るのだとか。
年に1度くらい、ドレッジが移動する時用の操縦室。一番偉いスタッフが勤め、ヒーターの上でお弁当が温められたらしい。
おじさんのお腹ではなく、金塊をつめる入れ物に注目して欲しい。
ドーソンシティに戻ってきて、街を歩いている時に見つけた忠犬。
レンズのゆがみじゃない。どの方向から見ても歪んでいる教会。大丈夫なのか?
ギリシャ料理がいただけるレストラン。なぜに極北でギリシャ料理か。
天気が回復していたのが分る。サワートゥーカクテルがいただけるダウンタウンホテル。
一番手に名乗り出た安藤さん。このときは勇敢な人なのかと思った。
この、グラスと対峙してる時間が一番キツい。
グラスに口を付けるまでがもっともためらわれる。Photo by 安藤さん
唇に足があたり、「フゴッ!」となって鼻息でグラスが曇ってる。Photo by 安藤さん
サワートゥーカクテルをこなした勇者の証。フレッシュさんはおじいに「パウチして卒業証書の上に飾れ」と言われたらしい。
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INDEX 北極でオーロラが出てるとき、南極にも同じオーロラが出ているらしい #カナダでオーロラハント 00
この日のオーロラハンターたちのブログ。
カナダでオーロラハント Day4 | PHUNKYPHRESHPOST
JJJホテル: 小原玲(動物写真家)のブログ
ユーコンからスキャグウェイへ、絶景鉄道の旅は歴史の旅でもあった ~ トロントで暮らすブログ
オーロラハンターたち
・DJ/HDRフォトグラファーのファンキー★フレッシュさん(Twitter|ブログ|Flickr|Flavors)
・ビデオブロガーのジェット☆ダイスケさん(Twitter|ブログ|YouTube)
・ブロガー/デザイナーのコヤナギユウさん(Twitter|ブログ|instagram)
・写真家の平田誠さん(ブログ)
・プロデューサーの山下由妃子さん
・動物写真家の小原玲さん(Twitter|ブログ)
・ユーコン準州ガイドでフォトグラファーの上村知弘さん(サイト|ブログ)
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