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かつて宮殿があった。
コルメシオ広場

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SUCCESS!

テージョ川のウォーターフロント。海と見間違うような大きな川を目の前にすると、呼吸が深くなり、すがすがしいような気持ちになる良い場所だ。でも、中世のこの場所は「良い場所」なんて言葉では済まない。かつてここ「コルメシオ広場」にはマヌエル1世の宮殿があったという。

バイシャ地区の「バイシャ」とは低い土地、という意味だそうだ。道はここを中心として放射線状に北に延び、リスボンの街が発展してきた。

1755年のリスボン大地震でこのあたりは12メートル越えの津波にすべて持って行かれた。大航海時代の胡椒の貿易で栄華を誇ったマヌエル1世の王宮に、貴族の館、そこに収蔵されていた書物、美術品、そして大切な地図まですべて流されてしまったそうだ。オペラハウスは完成してまだ7カ月しか経っていなかったという。当時のポルトガル王ジョゼ1世はこの地震がトラウマで極度の閉鎖恐怖症に。壁が怖くて丘の上にテントを張って暮らしたそうだ。

このリスボンの危機に、復興の手腕を振るったのはジョゼ1世ではなく、ポンバル侯爵だった。彼は外国で大使を努めたこともある政治家で、政治に興味のなかったジョゼ1世はポンバル侯爵に全権をゆだねていた。

ポンバルが目指していたのはポルトガルの近代化で、それまでの貴族特権をかなり強引に解体したり、大航海時代には宣教を任せていたイエズス会を追放し、商業を推進。

リスボン大地震の復興においても、被災者への手当や治安の安定に手腕を振るい、都市計画に基づいた市街図を作成、土地の利権者の意向を汲まない形でいまのまっすぐな道が引かれた。

建物は教会もすべて同じ高さに、新古典主義の「ポンバル様式」に統一。ちなみにコルメシオ広場の「コルメシオ」は貿易、という意味だ。

広場で一番目を引くのが「勝利のアーチ」という門だろう。展望台にもなっている(階段らしい)。ここをくぐるとアウグスタ通りだ。石畳の美しい歩行者天国で、このあたりはレストランのテラスと大道芸人でひしめき合っている。

通りを抜けるとフィゲイラ広場に出た。バスやトラムの停留所があるロータリーといった面持ちだ。

ここに、コルメシオ広場の中央に建っていた人物と同じ騎馬像があった。ポルトガル王のドン・ジョゼ1世だ。彼が没したあとポンバルは後ろ盾を失って失脚。時を同じくして大航海時代に花咲いたバロック文化も終焉していく。

気がつけば斜陽がジョゼ1世を包んでいた。

information

コメルシオ広場
Praça do Comércio
Praça do Comércio, 1100-148 Lisboa, ポルトガル

「貿易広場」と名付けられたけど、いまも宮殿があったことから「テレイロ・ド・パソ(宮殿広場)」とも呼ばれているらしい。ここに宮殿のあったマヌエル1世は装飾的な建築「マヌエル様式」のあの、マヌエルだよ。

Special Thanks

この旅は2019年10月28日に就航した、アシアナ航空のソウル⇄リスボン直行便に乗って、ポルトガル観光局が主催するメディアツアーに参加したものです。オブリガーダ(obrigada/女性の言葉で「ありがとう」)!