ESSAY

“ゆく人くる人”
年末年始に読んで欲しい本「観光の力」

SUCCESS!

クリスマスが過ぎればあっという間に年末・正月モードに切り替える日本の風景は、何度見ても鮮やかだ。イベントに乗っかってムードを作る行為は、商業的背景があるのだとしても、楽しませようという気持ちがある。楽しませたい、つまり、善意なのだからいいじゃないか? こう書くと、いろんなことが頭をよぎって「そうとも限らない」といいたくなりませんか。「ありがた迷惑」って日本語もあるし。

旅で感じたことを文章にする、という仕事のチャンスをくれた恩人のひとり、カナダ観光局の現日本地区代表・半藤将代さんが著書を出された。タイトルは「観光の力 世界から愛される国、カナダ流のおもてなし」。日経ナショナルジオグラフィックス社発行で表紙は、カナダらしいシュッとそびえ立った三角形の杉の木に雪がぽってりと積もり、ログハウスから温かい光が漏れる美しい写真だ。てっきり、コロナ禍対策のプロモーションで発刊されたガイドブックなのかと思っていた。恵贈いただいて、実際に本を手に取るまでは。

大きさはA5と書籍サイズ、カラーページは巻末に1折(16ページ)あるだけで、あとはすべてモノクロ。そして278ページと分厚い。

美しい写真が連続する、眺めれば読み終わるような本ではないようだ。

帯には「地元の人と観光客が、共に幸せになるための実例集」とあるが、誰向けの本なんだろう。もしかして、観光局のプロモーションの話? 旅するだけの消費者でしかないわたしには関係ないかも知れないけれど、遠い業界の話を聞くのも好きなので、知られざる裏話みたいなものを期待して、ページを開いた。先に結論を書くと、ここに書かれているのは、「観光」のみならず、「地域」そして「コミュニティ」に関わるすべてのひとにとって、参考と救いになる8つのドキュメンタリードラマだった。

旅したいっていうのは、ただのエゴ?

この本は、帯にも書いてあるように、8つの地域の実例集だ。でも、そこには旅行者の視点では分からなかった、いろいろな問題と、それを気にかけてきた人々の知恵と情熱があった。

比喩なく、どこのエリアもそれぞれの問題と解決策があって、ひとつずつ書きたいくらいなんだけど、特に印象に残ったのは「バンフ」「ハイダグワイ」そして大好きな「プリンスエドワード島」の3つ。

バンフはカナディアンロッキーの美しさやスノーリゾートで知られる世界有数の観光地なんだけど、観光客が詰めかけながらも、自然を守るために街の開発を辞めたとのこと。そもそも、ここは大陸横断鉄道を通すための通過点でしか過ぎなかったそうだが、偶然に温泉を発見し、リゾート地として開発された街なんだそうだ。災害や山火事、人間が介入すれば「もっとよく“守る”ことができる」と思った手立てはことごとく裏目に出て、人間ができることの少なさを自然は教えてくれて、人間はそれをきちんと守った。リゾート開発するきっかけとなった温泉に、そこでしか暮らせない小さなカタツムリの固有種が発見され、温泉への立ち入りは禁止に。人間が自然に貢献できることは、触れないことだけなんだ。

それでも、バンフは観光で成り立っている街だ。どうやって地域の人間に理解を求め、集客のバランスをとり、いまの課題は何なのか。旅人であるわたしには、考えもしなかったことばかりだった。

ハイダグワイは、この本を読むまで知らなかった。バンクーバーの北西に位置する離島で「クイーンシャーロット諸島」という英国名も持つ。「ハイダクワイ」とは先住民の言葉で「人々の島」を意味し、ここにはかつてハイダ族が暮らしていた。しかし、19世紀にヨーロッパから持ち込まれた天然痘などの感染症で島民の95%が死亡。更に白人同化政策で、子ども達は親から引き離され、白人として育てられた。トーテムポールは切り倒され、ポトラッチというあたたかな伝統も、文化も、言葉も禁止になった。いま、ハイダグワイでハイダ文化を語れるのは、ハイダ族の血を引く人だけだそうだ。わずかばかりに生き残った人々がなんとか少しでも後世に伝えようと努力をし、引き離された子ども達は自分のルーツを求めて博物館で先祖たちが紡いだ織物や彫刻を観察し、学んだ。そうやって、いまのハイダグワイの観光が復活した。観光客には「ハイダグワイとの誓い」を立てさせる。「感染症対策を行う」「ガイドラインに従う」「ハイダの権利を尊重する」といったことから「相手の意見に思慮深く耳を傾け、穏やかに話す」「人間なら誰しも間違えることがあるが、間違いを犯したら責任をとる」といった、まるで人生の指針のような内容も含まれる。観光すること、異文化に立ち入ること、人と接すること。実は、なにも違わないのだと思った。

プリンスエドワード島には、2009年と、その10年後の2019年の2回訪れたことがあり、この章に書かれていたことは、取材時にお伺いして実感したことが中心だったので、うんうんと(なぜか)誇らしい気持ちで読み進めることができた。日本で起こった「赤毛のアン」ブームをきっかけに、島民が島のそのままの魅力に気がつき、誇りになっていったこと。豊かな海や大地の恵みも自然に努め、オーガニック農家への転換推奨をカナダ各州に先駆けて進めたこと。そして知らないエピソードもちろん、いくつも掲載されいたが、ここまで読んできてもやもやと立ちこめていた気持ちがすうっと晴れるものがあった。

わたしが所属している「日本旅のペンクラブ」は、毎年機関誌を発行してる。会員は原稿を寄せるのだが、今年のエッセイのタイトルは「郷に入れば郷に従う、旅人の品格」とした。「旅人はよそ者、地域を尊重し身をわきまえるというのはコロナ対策と同じなのでは? だからいまは、慎みを持って行動する“旅人力”が試されますね」といった内容だ。

でも、「観光の力」を読んでいて、そんなの目新しい土地に踏み入りたい荒くれ者(旅人・観光客)の言い換えでしかないのでは、という気持ちがうっすらとわき上がっていた。他人を呼び、受け入れることで、地域コミュニティや自然は、こんなに疲弊して努力を強いられている。旅をしたい、なんて気持ちは結局はエゴであり、百害あって一利なしなのでは、と。

ゆく人くる人

そんな気持ちを少し、晴らしてくれたのがプリンス・エドワード島で紹介されているエピソードだった。ここには赤毛のアンの家をモデルにした「グリーンゲイブルズ」があるのだが、1997年に火事で焼失したらしい(これは知っていた)。しかし、1830年代に建てられたもので、図面などがなく復元が難しいといわれていた。それを救ったのは、北海道芦別市にあるカナディアンワールドだ。ここには「グリーンゲイブルズ」をそのままもしたレプリカが建てられており、その図面を元に本家の修復が行われたそうだ。その土地に魅入られた“よそ者”が、土地に少しでも“お返し”できた好例だ。もちろん、一介の個人に過ぎないわたしにできるようなことではない。でも、ひとりひとりが感動や好意を表していたからこそ、芦別にグリーンゲイブルズがあったんじゃないだろうか。それこそが、「観光“客”の力」なのではないだろうか。

だって、そもそも半藤さんが「はじめに」で書いている。

“観光には傷ついた地域と人々を癒やし、和解させ、再生させる力があることに気がつかされた。観光には様々な問題を解決し、地元の人と観光客の双方を幸せにするとてつもないパワーがある”

地域や観光地へ、行く人、来る人。

悪意のある悪事はもちろんダメだが、すべての善意が正解とは限らない。それは、観光局のマーケティングも、地域活性も、コミュニティ運営も、もっともっと小さい、わたしのあなたの関係も。

ゆく年、くる年。

今年の年末年始の休暇は短い。でも本1冊を読むくらいなら、ちょうどいいんじゃないだろうか。仕事も、観光、人間関係も、あらゆるヒントがカナダ全土に満ちている「観光の力」に詰まっている。

来年は、カナダへ行けると、いいな。

わたしのカナダへ対する並々ならぬ熱意は↓をチェック。きっとあなたも行きたくなる。